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「東漸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東漸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文芸の哲学的基礎」より 著者:夏目漱石
私は画の方は心得がないから、何《なん》とも申しかねるが、あれは仏国の現代の風潮が東漸《とうぜん》した結果ではないでしょうか。とにかく、画でも詩でも文でも構わない....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の上京につけて心ひそかな誇りがあった。今や日本の中世的な封建制度はヨーロッパ人の東漸とともに消滅せざるを得ない時となって来ている、それを見抜いたのが前公使のアー....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
前途を憂うる小さなこころざしにかけては、あえて人に劣らないとの思いが寄せてある。東漸するヨーロッパ人の氾濫を自分らの子孫のためにもこのままに放任すべき時ではなか....
宇宙爆撃」より 著者:蘭郁二郎
所長もいっていたがね、同じ赤道直下の場所でも、なぜボルネオを選んだかというとね、東漸して来た西欧文明は先ずジャバ島に上陸した、そしてジャバ島を殆んど西欧化して東....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
のになりますと、滝頭を西にとった方が、かえって本当かと思われます、むかしから仏法東漸と申しまして……。」 「仏法東漸か。なるほどそう聞けば、それも尤なようだて。....
何故の出兵か」より 著者:与謝野晶子
我国に出兵を強要して、露西亜の反過激派を救援し、少くも莫斯科以東の地を独逸勢力の東漸から独立させたい希望のあることは明かですが、これは日本軍が自衛の範囲を越えて....
関牧塲創業記事」より 著者:関寛
に左の希望を企てたり。 積善社趣意書 維昔天孫豊葦原を鎮め給いしより、文化|東漸し、今や北海|辺隅に至る迄億兆|斉しく至仁の皇沢に浴せざるものなし。我が一家....
大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
本の古代文化の上にもはっきりした痕《あと》を印しているギリシヤやペルシャの文化の東漸ということを考えてみているうち、いつか興味が動きだしてギリシヤの美術史だとか....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
霊はあろう。その霊は鴎外の残るくまなき記述によって、定めし目を醒して、西欧文物の東漸の昔をしのんでいることであろう。鶴見はそこが波羅葦僧の浄土であらんことを、切....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
の晩年は仏学|即ち仏教経典の方に凝ったなどはなかなか面白いことでもあり、西洋学の東漸中、医学がその先駆をなした点からでも、医学書生の何処かに西洋的なところがあっ....
環礁」より 著者:中島敦
げる。こうした壮大な仮説は、私に、大変楽しい空想の翼を与える。私は、太古埃及から東漸した高度の文明を身につけた・勇敢な古代人の群を想像することが出来る。彼らは、....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
であったのが後に京都の丸山に転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名....
東西相触れて」より 著者:新渡戸稲造
萄牙人は東方を領土と心得てその方角に進み、亜弗利加《アフリカ》に国旗を建て、なお東漸《とうぜん》して印度に渡り、遂に比律賓群島を占領し、この群島を東の島と名づけ....
明石鯛に優る朝鮮の鯛」より 著者:北大路魯山人
作用で大部分が東方日本の方へ向かって遊弋し、その途次、すなわち玄海灘を押し切って東漸し、大多数が瀬戸内海に入り、または九州、土佐あたりへも分れる。なお他の一部が....
日本文化の特殊性」より 著者:戸坂潤
物性繊維紙はこうしてヨーロッパに這入り、羊皮紙を駆逐した。活版も亦、古く支那から東漸したようである。もし印度も東洋の内に数えるならば、独りキリスト教成立前後のヨ....