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東福寺
「東福寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東福寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
、また是から向《むこう》へ往《い》くのでごぜえやすが、手間がとれるから、鰭ヶ崎の
東福寺《とうふくじ》泊《どま》りと云うのだが、幾らでもいゝから廉く遣るべえじゃア....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
の南泉寺の末寺で、谷中の随応山南泉寺の徒弟で、名を宗達と申し、十六才の時に京都の
東福寺へまいり、修業をして段々|行脚をして、美濃路|辺へ廻って帰って来たので、ま....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
らぬと、筆をとってこくめいに写生したものが、今に残っているということだ。 長崎
東福寺の住職東海和尚は、画の方でもかなり聞えた人で、よく河豚を描いて人にくれたり....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
を転じて京都へ入って、三条橋畔の宿屋へ投じた。その翌日は祇園、清水、智恩院大仏、
東福寺等を見物した。その頃の高倉の藩邸には留守居を改めて邸監といって、佐治斎宮氏....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
斎藤越後守を従えて四月入洛し、土岐は芬陀利花院《ふんだりげいん》に、斎藤越後守は
東福寺に宿営すると、早速にまたたびたび催促の使者を差し向けた。延徳二年の秋には葉....
「雪の宿り」より 著者:神西清
事実この矍鑠たる老人は、近年めだって年をとった。それは五年ほど前に腹ちがいの兄、
東福寺の雲章一慶が入寂し、引続いて同じ年に、やはり腹ちがいの弟の東岳|徴※が遷化....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
資慶卿、裏松宰相資清卿、大徳寺清巌和尚、南禅寺、妙心寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、
東福寺|並びに南都興福寺の長老達に候。 明日切腹候場所は、古橋殿|取計にて、船....
「モルガンお雪」より 著者:長谷川時雨
みをいうのとは違う。お雪が煩《うる》さくなって、病気|出養生《でようじょう》と、
東福寺の寺内《じない》のお寺へ隠れると、手を廻して居どころを突きとめ、友達の小林....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
そろ今川了俊がものをいい出す頃であった。世を諷して美濃に流され、後帰って出家し、
東福寺に入り、仏照派の下僧となり、栗棘庵に住み、右筆となり松月庵に住んだ。で、徹....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
談に入ってみたい。 当時、良覚という坊さんが九州のどこかにいた。 僧籍は京都
東福寺の法師。 おそらくは九州
東福寺領への赴任者として永らくこの地に住んでいた....