東路[語句情報] »
東路
「東路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東路の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「富士」より 著者:岡本かの子
へも送らず、手元で養っていたのであるが、翁はとうとう決心した。翁は姉と弟を取って
東路《あずまじ》へ帰る旅人の手に渡した。翁は眷属《けんぞく》の繁栄のため、そのお....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
数に差加えないわけにはゆかぬ。しぶしぶ丹三郎を連れて国元を出発したが、京を過ぎて
東路をくだり、草津の宿に着いた頃には、そろそろ丹三郎、皆の足手まといになっていた....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
という意味の引帯を、お松は朋輩から聞き覚えたように、大門の方に向って投げかけて、
東路《あづまぢ》の道の果てなる常陸帯《ひたちおび》 かごとばかりも会はむとぞ思....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
す。 たとえ、田山白雲ほどの男でも、王朝以前の時に当って、はるばる都を出でて、
東路《あずまじ》の道の果てなる常陸帯《ひたちおび》をたぐりつくして、さてこれより....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら、手を取り合っている。
手を取り合うといったところで、手に手をとって鳥が鳴く
東路《あずまじ》……というようなしゃれた道行ではないが、女は兵馬をたよるように出....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
な、気の利いた奴《やっこ》ではございませんが、轟《とどろき》の源松と申しまして、
東路《あずまじ》から渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」....
「死者の書」より 著者:折口信夫
ら、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、週り年には、時々鹿島・香取の
東路のはてにある旧社の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
目と鼻の間、呼べば答えるところにあるあの胆吹山の麓のことだから、同じ用心棒でも、
東路《あずまじ》の道のはてから遥々《はるばる》の用心棒とは違う――ではひとつ追い....
「源氏物語」より 著者:紫式部
いた。 「おなじ野の露にやつるる藤袴哀れはかけよかごとばかりも 道のはてなる(
東路の道のはてなる常陸帯のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」 こんなことが言いか....
「絶景万国博覧会」より 著者:小栗虫太郎
、時偶この寮に送られて来る娘はあっても、少し経つと店に突き出されて、仙州、誰袖、
東路などと、名前さえも変ってしまう。そんな訳で、唯さえ人淋しく、おまけに、変質者....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
の上から下りて来る)む。行ってしまわれた。……元気に発って行かれた。 瓜生ノ衛門
東路はさぞ淋しゅうござりましょうな。……手前もお供致しとうございました。………で....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
と、また大鳥毛の槍を物々しげに振立てて、三条大橋の橋板を、踏み轟かしながら、遙な
東路へと下るのであった。 東国から、九州四国から、また越路の端からも、本山参り....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
元暦元年の比かとよ、重衡の中将の、東夷の為に囚はれて、此の宿に付き給ひしに、「
東路の、丹生の小屋のいぶせきに、古郷如何に恋しかるらん」と、長者の女がよみたりし....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
人ぶりさえ一目見れば、死んでも心残りはないと、恥も意地も打ち捨てて、先頃からこの
東路をさがし歩いているわけでございまする」 「では、城太郎というあの童弟子は、お....