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「東鑑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

東鑑の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
りと引いた。文中に見る基成は泰衡《やすひら》らの外祖父で義経戦死の節自殺した。『東鑑《あずまかがみ》』建久四年六月十八日故曾我十郎が妾(大磯の虎除髪せずといえど....
道草」より 著者:夏目漱石
《かいしょ》で認《したた》められた厳《いか》めしいものには違なかったが、中には『東鑑《あずまかがみ》』などが例に引いてあるだけで、何の実用にも立たなかった。 「....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
、何が名所だと云いたくなるが、昔はどうしてこの人穴は非常に深かったものと見えて、東鑑にこう書いてある。 「将軍家(源頼家)駿河国富士の狩倉に渡御す。彼の山麓にま....
十二支考」より 著者:南方熊楠
害を為《な》す事多かったはずで、『今昔物語』の私市宗平《きさいちのむねひら》、『東鑑』の朝比奈義秀《あさひなよしひで》など浜辺でワニを取った様子皆鮫で※にあらず....
十二支考」より 著者:南方熊楠
な》す〉とある通り、その子孫代々男女とも父の氏を称せず母の氏で押し通したんだ。『東鑑』文治元年義経都落ちの条に、昔常盤御前が操を破りて清盛に事《つか》え娘を設け....
十二支考」より 著者:南方熊楠
時の人にて、金商橘次、橘内橘王が父なりと。今もその夫婦の石塔その地にあり云々。『東鑑』〈文治二年八月十六日午の尅《こく》、西行上人退出す、しきりに抑留すといえど....
十二支考」より 著者:南方熊楠
じこれを祭り多く福利を獲、もし祭らないと災変に遭《あ》うと出《い》づ。日本にも『東鑑』に、俣野景久、橘遠茂の軍勢を相具し甲斐源氏を伐《う》たんと富士|北麓《ほく....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
兵ヲ相具シ、門司 ヶ関ヲ固メラル。彦島ヲ以テ 営ト定メ、追討使ヲ相待…… 云々(東鑑) などの記載や、盛衰記の元暦元年の条には、義経の軍が兵船を仕立てて知盛の....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
争いやら何やらを、史書に漁ると限りがない。「栄花物語」「更級日記」「大和物語」「東鑑(吾妻鏡)」等々々。大江|匡房には「遊女記」の著述さえある。 いったい、日....