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東風
「東風〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東風の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「去年」より 著者:伊藤左千夫
。例のごとく楊枝を使って頭を洗うたのも夢心地であった。 門前に立ってみると、北
東風がうす寒く、すぐにも降ってきそうな空|際だ。日清紡績の大煙突からは、いまさら....
「赤耀館事件の真相」より 著者:海野十三
は姪の百合子と執事の勝見とが入って競技をはじめることになりました。 二|荘目の
東風戦に、少女麻雀闘士の明子さんが、九連宝燈という大役を作りあげたので、その卓の....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
た。 むす子は可笑しさを前歯でぐっと噛んで、女たちの小さい反抗を小気味よく馬耳
東風に聞き流すふりをしている。 「何ですの。サヴォン・カディウムって」とかの女は....
「少年と海」より 著者:加能作次郎
ろう、あの通り北風雲だから。」と言いました。 「それでも白山が見えるから、今に南
東風になるかも知れん。僕が沖を見ていたら、帆前船が一|艘、南
東風が吹いて来ると思....
「夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
に感じた。前方は二十畳敷程の空室で、階下の板敷と二階の床に当る天井の中央には、関
東風土蔵造り特有とも云う、細かい格子の嵌戸が切ってあった。そして、双方の格子戸か....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
。辞意痛切、所謂懦夫を起たしむるの概あり。然れども、親朝の腐れたる心には、馬耳に
東風、城陥りて、親房の雄志終に伸びず。名文空しく万古に存す。 当年の関城主は誰....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
動を見れば、別に異なりたる様子もなく、長州|騒動の沙汰のごとき、一般にこれを馬耳
東風に付し去るの有様なりき。 すなわち彼等は長州が勝つも徳川が負くるも毫も心に....
「ドーヴィル物語」より 著者:岡本かの子
ということ。また小さい美しい巴里女優ラ・カバネルが四人の黒ン坊の子供に担がせた近
東風の輿に乗って出るということ。その伊達競べに使われた可憐な役者達が、勤めを果し....
「迷信解」より 著者:井上円了
道理を示したものである。あたかも港にかかる船の、東方に行く者は、西風を順風といい
東風を悪風といい、また西方に行く者は、
東風は順にして西風は逆となる。もとより風に....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
仏法滅亡の兆を顕わして居る。忠告的の書物が幾らあったところが、先生らの耳には馬耳
東風というより見も聞きもせず、いわゆる余所の国にある結構な宝物とちっとも違わんの....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
書いた。それに対するエリザベスの返事は、彼女らしい、謎めかしいもので「讃美すべき
東風の仕業かな。そは季節を超えてなお吹き続くとかや。朕これを知るや、水晶のなかを....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
ただ一鉤の涼月を望むのみ。 二十七日、晴れ。暑気にわかに加わり、盛夏のごとし。
東風船を送ること連日に同じ。 日夜船窓望。 (日夜船窓から布哇を望めば、海と空と....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
、いずれも好評。 ○二月二十三日より新富座にて、西南戦争を脚色したる「西南雲晴朝
東風」の通し狂言を上演。八十余日間打ち通して、古今稀なる大入と称せらる。明治時代....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の朝の歌、 出でていなば主なき宿となりぬとも軒ばの梅よ春を忘るな は、かの菅公の
東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ を思わせて全く古今調である。....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
訪問した一九五七年四月以後の世界の情勢は変化をいたしました。毛沢東先生はこれを、
東風が西風を圧倒しているという適切な言葉で表現されていますが、いまではこの言葉は....