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松井須磨子
「松井須磨子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
松井須磨子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「葱」より 著者:芥川竜之介
綴《とじ》の書物が並んでいる。「不如帰《ほととぎす》」「藤村《とうそん》詩集」「
松井須磨子《まついすまこ》の一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れ....
「新版 放浪記」より 著者:林芙美子
ていたと云う事でもあるけれど、それにはひどく同感だ。
何の雑誌であったか、最近
松井須磨子の写真を見ました。実に美しかった。精練の美がにじみ出ていた。このひとの....
「時代と人々」より 著者:宮本百合子
ていた。しかしながら、その豊富な経験のなかでは、自身創立された文芸協会で、抱月と
松井須磨子の二つの命をやきつくしたようないきさつに接して居られる。また、一度はそ....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
ってその名声を高めたが、海外へは終《つい》に出なかったが、新女優の第一人者として
松井須磨子《まついすまこ》のあった事も特筆しなければなるまい。彼女は恩師であり情....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
氏と死んだ中央公論社の婦人記者|波多野秋子《はたのあきこ》、さては新劇壇の明星|
松井須磨子《まついすまこ》も書きのこされまい。芳川鎌子《よしかわかまこ》を知る人....
「マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
を持してゆこうとするのには、どれ位人知れぬ苦労があったか知れはしない。あの勝気な
松井須磨子が、人気のある盛りの身で、一人になれば、猶更《なおさら》自由でありそう....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
一昨日二階へ籠城でしたがおかみさん役をやってくれました。 きょうは文芸年鑑と、
松井須磨子の小説というものをよもうというわけです。スマ子小説を『早稲田文学』にの....
「文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
りして生活していましたが、友人の紹介で、田辺若男《たなべわかお》氏を知りました。
松井須磨子《まついすまこ》たちと芝居をしていたひとです。私は、間もなく、この田辺....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
ある。 一体、沢田君はどういう芸風の人か、今まで何をやったのが出色か、というと
松井須磨子のサロメにヨカナンを演《や》ったことがあるというような話だ、それは面白....
「松井須磨子」より 著者:長谷川時雨
。その二つの、まるで異《ちが》った意味の言葉は、一致しそうもない事でありながら、
松井須磨子の場合には不思議に一致して、 (立派な死方《しにかた》をした、しかし随....
「イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
の作品中、もっともポピュラアなものであるという理由が一つ、それと並んでこの作品は
松井須磨子や水谷八重子などの上演によって日本の新劇運動にも馴染の深いものではあり....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
いうだけで、極めて幼稚な非芸術的なものであるが、それが非常に人気にかなって、かの
松井須磨子のカチューシャ以上に持て囃されたのであった。従ってオッペケペーといえば....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
。 ○十一月十八日より一週間、帝国劇場にて文芸協会公演。狂言は「人形の家」にて、
松井須磨子のノラ好評。 ○一月七日、中村善四郎死す、六十六歳。晩年は振わざりしが....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
残しているのは、大正二年の秋、島村先生が遂に恩師坪内先生の文芸協会から分離して、
松井須磨子と共に新たに芸術座を起した根拠地が、この江戸川の清風亭だったということ....
「随筆銭形平次」より 著者:野村胡堂
ととぎす》」の浪子不動が土地の名物として存在を主張している。雑司ヶ谷の島村抱月、
松井須磨子の比翼塚《ひよくづか》は、生々しい記憶が付き纏っているが浅草には白井権....