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松尾
「松尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
松尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
やま》の正《しょう》八幡大菩薩、北には加茂大明神、天満天神、西東には稲荷、祇園、
松尾、大原野の神々を勧請《かんじょう》し奉ること、まさしく国家鎮護悪魔調伏の祈祷....
「姪子」より 著者:伊藤左千夫
冶屋《かじや》でもえいからって。 おやじがこういうもんだから、一と朝起きぬきに
松尾へ往《い》った、
松尾の兼《かね》鍛冶が頼みつけで、懇意だから、出来合があった....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
着、昼食、午後一時出発、ブナ小屋五時弘法小屋着九時。 第二日 出発午前十一時、
松尾上手午後一時、姥ヶ石二時着、三時二十分出発、室堂着六時半。 第三日 午前九....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
ているのである。 家康(年三十四)は竹広村弾正山に、三郎信康(年十七)は草部村
松尾大明神鎮座の山に布陣した。これが本営であって、左翼の先陣は大久保|忠世兄弟、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
歳を迎えてから先師没後の門人に加わり、婦人ながらに勤王の運動に身を投じようとする
松尾多勢子のような人も出て来た。おまけに、江戸には篤胤大人の祖述者をもって任ずる....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
年上の友だちが書いてよこすことはくわしかった。景蔵には飯田の在から京都に出ている
松尾|多勢子(平田|鉄胤門人)のような近い親戚の人があって、この婦人は和歌の道を....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
てなし、いろいろと斡旋紹介の労をいとわなかった。文久年代に上京した伊那|伴野村の
松尾多勢子、つづいて上京した美濃中津川の浅見景蔵、いずれもまず彼のもとに落ちつい....
「巴里のむす子へ」より 著者:岡本かの子
たクルト・セリグマン氏の口からも、または横光|利一さんの旅行文、読売の巴里特派員
松尾|邦之助氏の日本の美術雑誌通信でも親しく見聞きして嬉しい。健気なむす子よと言....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
岡の関所の間道を越え、田中、大文字、東金宿、そこから街道を東北に曲がった。成東、
松尾、横芝を経、福岡を過ぎ干潟を過ぎ、東足洗から忍阪、飯岡を通って、銚子港、そこ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
邸をつくッて与え、その辻を芭蕉の辻とよぶに至ったという。もっとも名スパイ芭蕉氏は
松尾芭蕉氏と同じように、そんな賑やかなところはイヤだと山奥へひッこんで出てこなか....
「昨日・今日・明日」より 著者:織田作之助
ば、たった一軒、兵隊さんになら、どんなことでも喜んできくという「兵隊きちがい」の
松尾という家があるという。 二人は早速いそいそと
松尾家を訪問した。ところが、 ....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
孝』八人の猩々講に――波の鼓の色もよく、長崎の湊にして猩々講を結び、椙村のうちに
松尾大明神を勧請中、甘口辛口二つの壺をならべ、名のある八人の大上戸|爰に集まる。....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
人、小説家井伏鱒二が、文章というものは上達に向かって長年苦労を重ねてきても結局は
松尾芭蕉の風韻に帰るのだ。と、いったことがある。釣りも人生も、同じだ。お前は、き....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
入し、桂川に大堰を作って葛野の平野を開墾するや、地主神たる大山咋神を氏の神として
松尾に祭り、また稲荷神をも氏の神として深草に祭る。ともに前からその地方を領した神....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
思われる諸社禁忌の記するところによると、八幡宮は百日、春日や稲荷は七十日、賀茂・
松尾・平野等は三十日とある。また八幡宮では、魚食のものでも三日間の禁忌とある。か....