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「松戸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

松戸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
そんなら逃げよう、と直《すぐ》に墓場から駈落《かけおち》をして、其の晩は遅いから松戸《まつど》へ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎《こがざき》の堤《どて》へ....
野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
寸《ちょっと》物に書いて置こうかという気になったのである。 僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切《やぎり》の渡《わたし》を東へ渡り、小高い岡の上で....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
に初めて都市計画に関する課が出来た当時の事、そこの、公園に関する図を引く腰弁に、松戸の園芸学校の卒業生が居た。今の荒川公園なぞはその男が図を引いたのであるが、そ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼むよ」 四 お由は下総《しもうさ》の松戸の生まれで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年《ちょうねん》している....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しろ小ひと月のあいだに、高田馬場から四つ家町、板橋、練馬、三河嶋を逃げまわって、松戸の宿《しゅく》まで行ったときに、金蔵が召捕られて先ず安心ということになりまし....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
間たっぷりはございますですが」 「四時間では、指揮をするだけでも、大変だぜ」 「松戸の工兵学校は、もう仕事を終えている頃ですから、直ぐ応援して貰ってはどうです」....
ルバイヤート」より 著者:小川亮作
のである。なお挿絵は小林孔氏に負うところ大である。 昭和二十二年八月二十日松戸にて 訳者 目次 まえがき 解き得ぬ謎 生きのなやみ 太初のさだめ....
鞄らしくない鞄」より 著者:海野十三
。行先は石《いし》の巻《まき》だ、草枝はもんぺをはいてわしといっしょに来てくれ。松戸へ出てから、すこし歩くことにするからなあ」 そういっているとき、天井に取付....
空襲警報」より 著者:海野十三
「おう……」 この編隊は、地雷弾と毒瓦斯弾とを半分ずつ持っている。 「貴隊は松戸附近より、東京の北東部にでて、まず環状線道路及び新宿駅を爆撃破壊したる後、東....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
るが、紀行には「蚤と蚊にせめられて思ふやうに眠られず。」とある。翌三十日は粕壁、松戸を経て、幸手の駅に入り、釜林という宿屋に泊まる。まことに気の長い道中である。....
死と影」より 著者:坂口安吾
で、きらいなんだ、と言っていた。 三平は最低の生活にみち足りていた。彼の姉が、松戸に、女給が二十人ちかくもいる大きなカフェーをやっていて、三平に支配人をやれと....
血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
くと、角右衛門は笑ったが、 「貴殿方は、どの親分のもとへ参らるる気かな。拙者は、松戸の五郎蔵殿のもとへ参るつもりじゃ。関東には鼻を突くほど、立派な親分衆がござる....
回想録」より 著者:高村光太郎
後彼の無事だった事が分った。) 黒田(清輝)さんの首もその頃作った。その後で、松戸の園芸学校の前の校長の赤星さんのを拵えたが、これは自分として突込めるだけ極度....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
っと私の兄弟子|三枝松政吉氏のことをいわねばならぬことになります。この人は下総の松戸の先の馬橋村という所の者で、私より六ツほど年長、やっぱり年季を勤め上げて、師....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
で、諸方へ知れて方々から買いに参りまする。市川新田、八幡、船橋、国分村、小松川、松戸辺から買いに来ます。大した繁昌で、田舎の店では種々な物を売ります、酒、醤油、....