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「松田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

松田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
地球盗難」より 著者:海野十三
よ」 「ああ三鷹村の天文台ですか。じゃ僕を連れていって下さい」 「オーケイ。おい松田君。君早く頼むぜ」 巨人武夫少年は、大隅学士と離れることをたいへん淋しがっ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
始末であるから、他は察すべしである。 その頃、銀座通りの飲食店といえば、東側に松田という料理屋がある。それを筆頭として天ぷら屋の大新、同じく天虎、藪蕎麦、牛肉....
島原の乱」より 著者:菊池寛
立ち所に帰する者七百人に及んだが、領内の不穏を察して居た有馬藩では、之が逮捕に、松田兵右衛門以下二十五人をして、船に乗じて赴かしめた。両名の妻子共々に捕えた時に....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
衛など三千五百人。右備は伊勢与三郎、藤田伝五郎等二千人である。中央軍の第二陣は、松田太郎左衛門で、その後に光秀旗本五千余騎を従えて、進んだ。 此の中で、左備の....
小田原陣」より 著者:菊池寛
から黄瀬川附近まで進撃し、遠征の敵軍を邀撃する策戦に衆議一決しようとした。此の時松田|憲秀独り不可なりと反対し、箱根の天嶮に恃み、小田原及関東の諸城を固めて持久....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
《しも》にも互に有ることで、戦乱の世の月並で稀《めず》らしい事では無い。小田原は松田尾張、大道寺駿河等の逆心から関白方に亡ぼされたのであり、会津は蘆名の四天王と....
売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
ていたのは、同じ明神坂の片側長屋の一軒で、ここには食うや食わずの医学生あがりの、松田と云うのが夫婦で居た。 その突当りの、柳の樹に、軒燈の掛った見晴のいい誰か....
外来語所感」より 著者:九鬼周造
隊を送るばかりが国防ではない。挙国一致して日本語の国民性を擁護すべきであろう。故松田文相の外来語排撃の旗印は文教の府の首班として確かに卓見であった。我々はしかし....
競漕」より 著者:久米正雄
と思った。どうしても農科の応援の方が多いように思われた。洗い場の辺に久野の友人の松田と成沢が立っていた。二人は「久野、しっかりやれ」と言って帽子を振った。久野は....
くろん坊」より 著者:岡本綺堂
まで三里のあいだに七ヵ所の簗をかけて、大きい鮎を捕るのである。根尾から大字小鹿、松田、下大須、上大須を過ぎ、明神山から屏風山を越えて、はじめて越前へ出るのである....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
左団次、市川権十郎、坂東|家橘などの顔ぶれで、一番目は「賤嶽七本槍」、二番目は「松田の仇討」で華々しく開場したのであったが、それから半年も経たないうちに忽ち灰に....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
たるなり。舞台開きには左団次、小団次、米蔵、家橘、権十郎、秀調ら出勤。二番目の「松田の仇討」好評。 ○一月、市川右団次上京して春木座に出勤。 ○一月二日の夜、春....
俗臭」より 著者:織田作之助
それには、危い橋を渡る覚悟があった。その頃、小っぽけな電球の町工場をもっている松田という男に、口金代百円許り貸していて、抵当に電球三千個とっていた。百円の金が....
雷門以北」より 著者:久保田万太郎
強い濃い「光」と「影」との交錯を持っている。……ということは古く存在した料理店「松田」のあとにカフェエ・アメリカ(いま改めてオリエント)の出来たばかりの謂いでは....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
用いた。しかし、電気のイルミネーションはとも角、ガス灯でこれに似たことを早くから松田がやっていて、隣の勧工場も間もなくこれを真似て用いた、松田については後にもか....