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松陰
「松陰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
松陰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「自叙伝」より 著者:大杉栄
を読み返して彼をすっかり好きになってしまった。 この西郷南洲伝はさらに僕を吉田
松陰伝や平野国臣伝に導いた。そしてそのどんなところが気に入ったのか忘れたが、とに....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
向を相異にするようなものが、ほとんど同時に踏み出そうとしていた。長州萩の人、吉田
松陰は当時の厳禁たる異国への密航を企てて失敗し、信州|松代の人、佐久間象山はその....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
から、おれが出たらと思って、意気込んで行ったものでしょうかね。でも、あの人は吉田
松陰の事件で、九年も禁錮の身だったというじゃありませんか。戸を出でずして天下を知....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
があり、頼鴨崖があり、藤田東湖があり、真木和泉があり、ここに岩瀬肥後があり、吉田
松陰があり、高橋|作左衛門があり、土生玄磧があり、渡辺崋山があり、高野長英がある....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
朽ちぬとも留めおかまし大和魂 の辞世を残し、悠々として刑場の露と消えたあの吉田
松陰、
松陰先生こそ、実に生死に囚われざる人です。生死を怖れざる人です。生死に随順....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
鉄の線路を三軒茶屋まで歩いた。唯有る饂飩屋に腰かけて、昼飯がわりに饂飩を食った。
松陰神社で旧知の世田ヶ谷往還を世田ヶ谷|宿のはずれまで歩き、交番に聞いて、地蔵尊....
「謀叛論(草稿)」より 著者:徳冨蘆花
で名高い寺である。豪徳寺から少し行くと、谷の向うに杉や松の茂った丘が見える。吉田
松陰の墓および
松陰神社はその丘の上にある。井伊と吉田、五十年前には互に倶不戴天の....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
や青年教訓者は、いない者に向かって道を説いている。現代は優れた教育者(例えば吉田
松陰とか下っては杉浦重剛とか)がいないと云って、教育者は赤恥をかかされている。教....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
王子比干や商鞅も韓非子も高青邱も、呉子胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田
松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も富松正安も、死刑となった。刑死の人には、実....
「灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
簿の順番に私があたり、私は自分のことは喋りたくないと云って何かペスタロッチと吉田
松陰のことを喋ったようだった。とにかく、よみかきそろばん、という口調のよい言葉を....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
を謳われた。即ち、一人は川路聖謨、もう一人は佐久間象山であった。象山の弟子に吉田
松陰があり、
松陰の弟子には伊藤、井上、所謂維新の元勲がある。 所で江川太郎左衛....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
朝倉先生は、そう言って、感慨深そうに、みんなの顔を見まわしていたが、 「吉田
松陰の言葉に、天下は大物だ、一朝の奮激では決して動くものではない、それを動かそう....
「死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
千の金なら、何時でも耳が揃えられるんです」 「外国渡航に就ては、国禁も有り、吉田
松陰の失敗もあり、併し追々は渡行出来ようで、是非一度は外国に渡り、見聞を弘くし、....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
学教師たるよりは露西亜を対照としての天下国家の経綸を鼓吹したので、松下村塾の吉田
松陰を任じていた。それ故に同じ操觚でも天下の木鐸としての新聞記者を希望して、官報....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
における最後の解放の行われた文化三年から、五十余年を経た嘉永五年に、有名なる吉田
松陰がその地を視察しまして、その感想を東北遊日記にこう書いてあります。 龍飛崎の....