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板垣
「板垣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
板垣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
、今はいたずらにあざみの花が、さびしく日だまりに、咲いているばかり、倒れかかった
板垣《いたがき》の中には、無花果《いちじゅく》が青い実をつけて、人を恐れない鴉《....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
の領主となる。時に年二十一歳。 若い時は、文学青年で詩文ばかり作っていたので、
板垣信形に諫められた位である。だから、武将中最も教養あり、その詩に、 簷外風光分....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
の諸官を率いて本国を去れり、ここにおいて廟堂は西郷大将をはじめ副島、江藤、後藤、
板垣の諸参議を残し、ほとんど国権派の世となれり。勝、大木、大隈の諸政事家はこの間....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
特別をもって庄三郎も軍議の場所に列せられ、尚他に諸角豊後、穴山梅雪、武田逍遥軒、
板垣駿河、長坂|釣閑、真田弾正同じく昌幸、円座を作って居流れた様は、堂々として由....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
総督として東山道方面に向かうこととなったのである。それには香川敬三、伊地知正治、
板垣退助、赤松護之助らが、あるいは参謀として、あるいは監察として随行する。なお、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
行の帰朝、征韓論の破裂、政府の分裂、西郷以下多くの薩人の帰国、参議|副島、後藤、
板垣、江藤らの辞表奉呈はその結果であった。上書してすこぶる政府を威嚇するの意を含....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
善重氏の宅で小休みする。善重氏は、文墨のたしなみがあり、菅原白竜山人のかけ幅や、
板垣退助伯が清人霞錦如の絵に題字せられた幅物などを愛蔵せられて、私たちの見るに任....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
た。この年の十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて
板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあた....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
この離座敷へも、午後の春陽は射して来ていて、柱の影を、畳へ長く引いていた。 「
板垣退助が参謀となり、岩倉具定を総督とし、土州、因州、薩州の兵三千、大砲二十門を....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
も成功せず、四十の年配にあっても、食いつめたあげくが自由党の壮士となって結成式に
板垣総理万歳を叫んだ。それも暮しの工夫なら無いよりはマシだが、二三年のうちに彼の....
「有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
。この年の十月には政府に大|更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて
板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあた....
「食指談」より 著者:佐藤垢石
のが、十六文盛りの蕎麥四十二杯を平らげ、御船方の国安力之助が三十六杯、浅草の神主
板垣平馬が、同じく三十五杯。 十六文盛りの蕎麥というのが、どのくらいの量である....
「民主主義」より 著者:織田作之助
も会いません。用件は私が伺いましょう」 用件はなかった。すごすご帰る道、仙台に
板垣退助の娘がいることを耳にした。
板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
た史劇で、楠が青柳、熊王が川上、侍女千代野が藤沢という役割であったが、これまで「
板垣君遭難実記」というたぐいの狂言のみを演じていたこの一座が、烏帽子をかぶったり....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ゆる情報会議が行なわれた。当時の軍司令官は村岡中将で、河本大佐はその直前転出し、
板垣征四郎大佐が着任したばかりであった。奉天の秦少将、吉林の林大八大佐らがいたよ....