板垣退助[語句情報] » 板垣退助

「板垣退助〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

板垣退助の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
るべし。 また大分新らしいのは猴《さる》が人の子を養うというやつだ。というと、板垣退助伯の娘猿子の名などより仕組んだ咄など邪推されんが、予の手製でなく、昨年八....
近時政論考」より 著者:陸羯南
らず、土佐人の出張所あるをもってなり。 さきに民選議院論を唱えたる政事家の一人板垣退助氏は時の政府に不平を抱きてその郷里土佐にあり、薩摩の西郷とともに民間の勢....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
総督として東山道方面に向かうこととなったのである。それには香川敬三、伊地知正治、板垣退助、赤松護之助らが、あるいは参謀として、あるいは監察として随行する。なお、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
人の中に生まれた自由の理も喧伝せられ、民約論のたぐいまで紹介せられて、福沢諭吉、板垣退助、植木|枝盛、馬場|辰猪、中江|篤介らの人たちが思い思いに、あるいは文明....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
善重氏の宅で小休みする。善重氏は、文墨のたしなみがあり、菅原白竜山人のかけ幅や、板垣退助伯が清人霞錦如の絵に題字せられた幅物などを愛蔵せられて、私たちの見るに任....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
り語っているのである。 明治二十三年の国会開設を目前にして、かつての中江兆民、板垣退助の自由民権運動は急速に圧迫し終息させられはじめていた明治二十年。明治初年....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
に憤るのも当らないことであります。 薩摩屋敷へ浪士を集めたのは、西郷隆盛と後の板垣退助も関係していたということでありますが、徳川幕府を倒さねばならぬという志士....
鷹を貰い損なった話」より 著者:寺田寅彦
友達の中にも硬派と軟派と二種類あって、その硬派の首領株からはだいぶいじめられた。板垣退助を戴いた自由党が全盛の時代であったので、軍人の子供である自分は、「官権党....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
た。この年の十月には政府に大更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあた....
生前身後の事」より 著者:中里介山
ち余の生れた年)生きていた、現に日本人でもこの偉人に目のあたり面会した人がある、板垣退助伯爵の如きは慥《たし》かにその一人である、余は知人原氏の紹介をもって板垣....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
この離座敷へも、午後の春陽は射して来ていて、柱の影を、畳へ長く引いていた。 「板垣退助が参謀となり、岩倉具定を総督とし、土州、因州、薩州の兵三千、大砲二十門を....
話に聞いた近藤勇」より 著者:三田村鳶魚
ている。この方は甲府へ十三里しかない。そうしてこの手には、いくさ上手である土佐の板垣退助さんが、兵を率いておられる。そういう内報を受けながら、近藤は疲れているか....
有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
。この年の十月には政府に大|更迭があって、大隈重信が俄かに野にくだった。つづいて板垣退助らが自由党を興した。それらの事件も、溝口と矢田の両家にはなんの影響をあた....
掠奪した短刀」より 著者:田中貢太郎
うに喧嘩ばかりして歩いていたが、そのうちに慶応四年となって、鳥羽伏見の役が起り、板垣退助が土佐の藩兵を率いて東上した。寛一郎もその旗下に属して、迅衝隊の隊士とし....
民主主義」より 著者:織田作之助
も会いません。用件は私が伺いましょう」 用件はなかった。すごすご帰る道、仙台に板垣退助の娘がいることを耳にした。板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。....