林太郎[語句情報] »
林太郎
「林太郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
林太郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「狂言の神」より 著者:太宰治
れば、われに就いて、一言一句も語れなかった。たち拠らば大樹の陰、たとえば鴎外、森
林太郎、かれの年少の友、笠井一なる夭折《ようせつ》の作家の人となりを語り、そうし....
「語られざる哲学」より 著者:三木清
人の肺腑に徹するものではない。) (ゲーテ『ファウスト』第一部五四四―五 森
林太郎訳 岩波文庫) 彼らは人を教えもしくは説服しようという心に支配されていて....
「花吹雪」より 著者:太宰治
当に笑いごとではないのです。明治大正を通じて第一の文豪は誰か。おそらくは鴎外、森
林太郎博士であろうと思う。あのひとなどは、さすがに武術のたしなみがあったので、そ....
「巌流島」より 著者:直木三十五
か》を探してと二三の家来を出して、下の関の宿屋を求めさせた。すると果して船問屋小
林太郎左衛門の家《うち》に居た。主命を告げると武蔵一書をかいて家臣の者に渡す。文....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
っており、巻末に世評一般がのせてあって、その中には『国民の友』記者の評に対する森
林太郎先生の弁駁文などもある。 『精神啓微』は脳髄生理から出発して形而上学の諸問....
「『新訳源氏物語』初版の序」より 著者:森鴎外
たくしと同感だという人も、世間に少なくないかも知れません。 明治四十五年一月 森
林太郎....
「花をうめる」より 著者:新美南吉
ある日の日暮《ひぐれ》どき私たちはこの遊びをしていた。私に豆腐屋《とうふや》の
林太郎《りんたろう》に織布《しょくふ》工場のツル――の三人だった。私たちは三人同....
「青春論」より 著者:坂口安吾
れる筈であったが、彼自身の考えがあって、ひそかに行方をくらまし、下関の廻船問屋小
林太郎左衛門の家へ泊った。 翌日になって、もう小次郎が船島へついたという知らせ....
「森先生」より 著者:芥川竜之介
の立派なる事、神彩ありとも云うべきか、滅多に世の中にある顔ならず。名刺を見れば森
林太郎とあり。おや、先生だったかと思いし時は、もう斎場へ入られし後なりき。その時....
「あたまでっかち」より 著者:下村千秋
村があり、何十|代つづいたかわからないような百姓家が、方々に残っているわけです。
林太郎の村も、このふるい歴史をもった村のひとつでした。湖の南の岸の丘の上にあって....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の通りです。 「飛鳥天皇御世癸卯年十月十四日、蘇我|豊浦毛人大臣ノ児、入鹿臣□□
林太郎、伊加留加宮ニ於テ山代大兄及其ノ昆弟等合セテ十五王子|悉ク之ヲ滅ス也」 ....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
日代りに乍寒乍暖、まだ小寒なるに梅など処々|開居候。 十二月二十九日雨夜
林太郎 きみ子様 文中に見えています小金井の母は、長岡藩の名流の長女に生....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
小花、それから美ち奴の両君もこの会社から華々しく打ってでたし、新人時代には、東海
林太郎、松平晃、松島詩子君なども、この会社へみな吹き込んでいたものである。 文....
「鉄の規律」より 著者:平林初之輔
り。 大日本正義党 中央執行委員 警視総監 島村
林太郎閣下 五 だが警視庁はもちろん、正義党の勧告に従わないで犯人の捜査を開....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
一人の名でなくて、赤門の若い才人の盟社たる新声社の羅馬字|綴りの冠字で、軍医|森
林太郎が頭目であると知られた。 鴎外は早熟であった。当時の文壇の唯一舞台であっ....