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林家
「林家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
林家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「闇夜の梅」より 著者:三遊亭円朝
の通《とおり》の外題にして演《や》ると大層に当ったという話がある。その真似をして
林家正藏《はやしやしょうぞう》という怪談師が、今戸《いまど》に心中のあった時に『....
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
る事を感じたが、其の叔父の定次郎も矢張りそうした犬歯の持主で、この犬歯の特徴は小
林家の特徴と云って好いのだった。けれどもそれだけで、その白骨になった屍体を小林貞....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
の家系の末に当っているのであるが、同時にその分家である今一軒の梅津氏は観世流の藤
林家と相並んで藩公黒田家のお抱えとなり、邸宅と舞台を薬院|中庄に賜わり士分に列せ....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
私の父方の祖父才一郎が嘉永五年七月一日、僅か六畳一間の栗
林家の門部屋で病死した時――栗
林家の次男坊に生れた才一郎は、この時すでに河上家の....
「鵞湖仙人」より 著者:国枝史郎
の礎を据える。……真南に流水真西に砂道。……高名栄誉に達するの姿だ。……坤巽に竹
林家を守り、乾艮に岡山屋敷に備う。これ陰陽和合の証だ。……ひとつ間取りを見てやろ....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
であったが、もう一つの駕籠から現われたのは儒者風の立派な人物であった。 「大学頭
林家より、参りましたものにござりまするが、なにとぞ先生のご来診を得たく、折り入っ....
「お化の面」より 著者:田中貢太郎
わして赤い絵具を塗り、その上処どころ濃鼠の布で膏薬張をしてあった。 それは初代
林家正蔵が秘蔵していた物であった。その正蔵が百六歳の長寿を保って、沼津で歿くなっ....
「奥の海」より 著者:久生十蘭
用調役というものがついていて、体面を維持する程度のことをしてくれるが、大臣家、羽
林家と下ると、そういう保証もないので、朝は薄い茶粥に胡麻塩、昼は一汁一菜に盛りっ....
「駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
て行くうちに後妻にも男の子が二人も生まれた。 弥吉は性来義理固い男で、浩平は小
林家の一粒種だというので、かりそめの病気にも非常に気を揉んで、後妻に出来た子ども....
「学問の独立」より 著者:福沢諭吉
》を得たるものと信ずるなり。 当時もしも大学頭をして実際の行政官たらしめんか、
林家《りんけ》の党類はなはだ多くして、いずれも論説には富む者なれば、政府の中にた....
「艶色落語講談鑑賞」より 著者:正岡容
レンが時々鳴き出す頃で、昭和十七年おぼろ夜、緑波君と脚色者の斎藤豊吉君と桂文楽、
林家正蔵(当時は馬楽)両君と私たち夫婦で、女房の門下生の若い妓がズラリ十何人並ん....
「誰が何故彼を殺したか」より 著者:平林初之輔
現場《げんじょう》の付近で拾得した証拠物は、例の凶器らしい棒杭一つで、それは、
林家の垣に使用されていたものに相違ないこと、昨日《きのう》まではちゃんと垣にたっ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
が弛廃していたから、さらぬだに放縦な椿岳は小林城三と名乗って別に一戸を構えると小
林家にもまた妻らしい女を迎えた。今なら重婚であるが、その頃は門並が殆んど一夫多妻....
「向嶋」より 著者:永井荷風
墨多あるいは墨田の文字を用いているにあるという。また新に※という字をつくったのは
林家《りんけ》を再興した述斎《じゅつさい》であって、後に明治年間に至って成島柳北....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
ころでなく見えた。蕃山らがはじめ大藩に厚遇されて晩年不遇におちたのも、むしろ幕儒
林家の嫉視によるので、それも彼の学説が大藩に迎えられたためでなくたまたま当年の浪....