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林房雄
「林房雄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
林房雄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「喝采」より 著者:太宰治
《ざしょう》、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、
林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、その他数氏、未《いま....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
これは、労農ロシアの若きゼネレーションの中から必然的に生れたもので、近頃日本でも
林房雄なぞに云々され、流行せんとする傾向があるが、本来はそんな軽率な、皮相的なも....
「創生記」より 著者:太宰治
きたい朝が来る。その日まで待て。十年。おそしとせず。 彼失ワズ ケサ、六時、
林房雄氏ノ一文、読ンデ、私カカナケレバナルマイト存ジマシタ。多少ノ悲痛ト、決断、....
「「大人の文学」論の現実性」より 著者:宮本百合子
ず、小説の書きかたに工夫をこらしているからであると見る評論家(小林秀雄氏)作家(
林房雄氏)たちによって、「大人の文学」論がいわれているのである。 従来、ごく文....
「明日の言葉」より 著者:宮本百合子
事実である。上海その他へ出かけて、目下戦線ルポルタージュ専門の如き観を呈している
林房雄氏が上述の提唱の首脳であったことは説明を要しない。文芸懇話会賞というものを....
「一連の非プロレタリア的作品」より 著者:宮本百合子
けている観がある。 特に率直にいえば、一九三二年の後半期に問題は一進している。
林房雄や須井一などが一応プロレタリア文学の陣営に属すように見えつつ、実質において....
「現代文学の広場」より 著者:宮本百合子
断定をさけさせたのであったと考えられる。 昨年十二月号『群像』の月評座談会で、
林房雄は、宇野浩二の書いた「文学者御前会議」(文学者が天皇に会ったときの記録)に....
「辞典」より 著者:戸坂潤
der Gesellschaft und Wissenschaft, 1913(
林房雄訳『社会意識学概論』昭和五年)。K. Mannheim, Ideologi....
「解説(『風知草』)」より 著者:宮本百合子
ういう時期であった一面に、プロレタリア文学運動は最後的な紛糾状態におかれていた。
林房雄その他の人々によって、それまでのプロレタリア文学運動の指導方針の政治的偏向....
「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」より 著者:宮本百合子
」の書記長は山田清三郎であった。「前進のために」をよむと、誤りをみとめつつ、なお
林房雄などの卑劣さに対する本質的ないきどおりをしずめかねて、うたれつつたたかれつ....
「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」より 著者:宮本百合子
時の軍人、官吏、実業家の中心問題をその中心課題とすべきだという「大人の文学論」(
林房雄)。客観的には、批判の精神を否定して、「知らしむべからず、よらしむべし」の....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
その他」10枚、「子供のために書く母たち」15枚、「『大人の文学』論について」(
林房雄、小林秀雄らの提唱に関して)10枚、「十月の作品評」12枚、「自然描写にお....
「傍人の言」より 著者:豊島与志雄
理想を道具として使用してるうちはよいが、理想に囚われると外皮の硬化が将来される。
林房雄の「青年」などは、素朴な思念に救われているが、あれがもっと年をとり、もっと....
「昭和四年の文壇の概観」より 著者:平林初之輔
壮一の評論にも、堀口大學の詩にもそれがある。そして最後に百パーセント・モダニスト
林房雄である。
林房雄はモダニズムとマルキシズムとを調和させたという人がある。だが....
「文芸評論の方法について」より 著者:戸坂潤
この作家的評論と評論家の評論とでは大分趣きが変っていると云うのである。 例えば
林房雄を取ろう。彼は決して評論を書かないのではない。だが彼は又決して評論家でもな....