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柏原
「柏原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
柏原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「伝吉の敵打ち」より 著者:芥川竜之介
い、あわや斬《き》りも捨てられん」とした。平四郎は当時|文蔵《ぶんぞう》と云う、
柏原《かしわばら》の博徒《ばくと》のもとに用心棒をしていた剣客《けんかく》である....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
しきは無しと。 (武家義理物語、巻一の五、死なば同じ浪枕とや) 女賊 後
柏原天皇|大永年間、陸奥一円にかくれなき瀬越の何がしという大賊、仙台|名取川の上....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
でだったよ。おれはその頃将監さんに仕込まれた咽喉でもって旅芸人を稼いでいたのだ。
柏原という村へ来て、くたびれ休めにそこにあった小屋の縁側に腰をかけたものだ。気が....
「空襲警報」より 著者:海野十三
。 婦人たちは、いずれもニコニコ顔で、車内をなんべんも見まわした。 列車が、
柏原駅についたとき、指揮をしていた鍛冶屋の大将は、なにを思ったものか、つと扉をあ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しばし、これも武装をした一人の使者が眼前に現われました。 「石田治部少輔の家来、
柏原彦右衛門にござりまする」 使者の者がこう言って頭を下げる。刑部少輔吉隆は頷....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
い》。 「わしどもは、旅の俳諧師《はいかいし》でございましてね、このたび、信州の
柏原《かしわばら》の一茶宗匠《いっさそうしょう》の発祥地を尋ねましてからに、これ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
で、何か少し宿にまごまごしていたが、再び出発の時は、北国街道へ向わないで、順路を
柏原方面へ向けて歩き出したのは、北国街道筋に何か道路の故障があったのかとも思われ....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
風も相当強かったらしい。この災害のあとで、「班幣畿内諸神、祈止風雨」あるいは「向
柏原山陵、申謝風水之※」といったようなその時代としては適当な防止策が行われ、また....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
行きかう人は近江路や、夜をうねの野に啼く鶴も、子を思うかと哀なり。番場、醒が井、
柏原、不破の関屋は荒れはてて、ただ漏るものは秋の月。不破の関の板間に、月のもるこ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
いう仇名がついていて、いくら勉強しても成績が上らぬので軽蔑されてる生徒であった。
柏原という卒業生の非常な秀才が海軍兵学校に入学していたのが、急性肺炎で亡くなった....
「明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
という人が四代中絶していた念流を偽庵という隠士から伝授をうけた伝書や、その先代が
柏原肥前守から神道流の伝授を受けた伝書など調べればまだいくらでも出てきそうな古文....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
て野尻近き頃は、夏の日も大分傾き、黒姫おろしが涼しさに過ぎた。今宵の本陣は信州|
柏原の定めであった。 「ハテ、不思議や」 梨地金蒔絵、鋲打の女乗物。駕籠の引戸....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
、宗祇が歿した後、永正、大永から享禄・天文にかけての約三十数年に、猪苗代兼載・後
柏原天皇・冷泉政為・牡丹花肖柏・宗長・三条西実隆が和歌連歌の世界を圧えていたが、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
上郡春日部村大字小多利字産所上。陰陽師とも呼ばれ、やはり縁組を嫌うと、これは同国
柏原で永沢小兵衛君よりの聞書。 丹後 与謝郡加悦町算所。これは特殊部落とみなされ....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
すうと窓から這入り込んで、ひやりと顔を撫でた。しかし雨は降らなかったらしい。牟礼
柏原の間で夜が明け初める。上州方面の山々は、淡い樺色に染まった高い巻雲層の下に、....