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「柏木〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

柏木の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
て安からんことを祈ります。 大正十四年(一九二五年)二月二十四日 東京市外柏木において 内村鑑三 夏期演説 後世への最大遺物 第一回 時は夏で....
旧主人」より 著者:島崎藤村
《こもろ》へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木《かしわぎ》村――はい、小諸まで一里と申しているのです。 柏木|界隈《かい....
並木」より 著者:島崎藤村
「そうかなあ」と原も微笑《ほほえ》んで、「僕はある。一昨日《おととい》も大学の柏木君に逢ったがね、ああ柏木君も年をとったなあ、とそう思ったよ。誰だって、君、年....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
逢ったのは淀橋でした。御承知の通り、ここは青梅街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
であった。幅下門から榎多御門、番所を通ると中庭で、北へ行けば西之丸、東へ行けば西柏木門、そこから本丸へ行くことが出来た。どうしたものか本丸へは行かず、御蔵門から....
青服の男」より 著者:甲賀三郎
に帰ったお徳は手紙を持ってやって来た、寺本医師はそれを取上げて、 「東京市淀橋区柏木緑荘アパート小浜信造。ハヽア、アパートなんかにおる所を見ると、未だ独り者らし....
赤旗事件の回顧」より 著者:堺利彦
の執筆者の一人であった。世間の新聞などでは、幸徳君らとわたしらとを一まとめにして柏木団(かしわぎだん)と呼んだりしていた。実際その連中の多くは柏木、淀橋あたりに....
獄中消息」より 著者:大杉栄
すます売れなくなる。計画したことはみな行き違う。ついに初めての家の市ヶ谷を落ちて柏木の郊外に引っこむ。思えば、甘いなかにもずいぶん辛い、そして苦い新婚の夢であっ....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
ていて下さるようになりました。 それがだんだんと拡がり、千駄ヶ谷方面、代々木、柏木と、もうとうていまわり切れないほど広範囲にお得意を持つようになって、すると今....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
ていて下さるようになりました。 それがだんだんと広がり、千駄ヶ谷方面、代々木、柏木、と、もうとうていまわり切れないほど広範囲にお得意を持つようになった、すると....
大正女流俳句の近代的特色」より 著者:杉田久女
い、線の太い句となるのである。 春雷や夜半灯りて父母の声 みさ子 茎漬や明日柏木に月舟忌 みどり 奥の間に句会しづかや松の内 清女 夜寒児や月に泣き....
経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
いうちに、今まで縁遠かったお妻に対して結構な縁談を申込まれたのである。 淀橋の柏木成子町に井戸屋という古い店がある。井戸屋といっても井戸掘りではなく、酒屋であ....
反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
御子、女三宮である。源氏の若い頃、藤壺女御との間にあった過ちと同様、内大臣の長男柏木と女三宮との間に生れた子である。源氏は其事を知って、激しい怒りを、紳士として....
烏恵寿毛」より 著者:佐藤垢石
もよらない。まず場末を選ぶことになったのである。 中仙道の板橋方面、甲州街道の柏木方面、奥州浜街道の千住あたりを極力捜したのであるがいかに場末と雖も、資本金三....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
辻屋の次男に貨一郎という人があった。神田お玉ヶ他に徳川様のお大工|棟梁をしていた柏木稲葉という人の養子になって柏木貨一郎と名乗っておった。二十四、五の立派な人品....