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染屋
「染屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
染屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とは少し違って、上高井戸から烏山、金子、下布田、上布田、下石原、上石原、車返し、
染屋と甲州街道を真っ直ぐにたどって、府中の宿に行き着いたのは、七ツ半(午後五時)....
「旅愁」より 著者:横光利一
重二十重に通りを埋めているので、矢代たちのいる外側からよく行進が見えなかったが、
染屋の晒布のような無数の幟の進んで来る中に混った出し物には、工夫をこらしたものも....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
り、出精するうち悪心起り、越中、越後に若い者を派遣し、人々の呑み棄てる茶殻を京の
染屋に入れるとて買い集め、それを飲み茶に雑《まじ》えて人知れず売り、大利を得たが....
「夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
云いしがしおしおと)貴方、直ぐにとおっしゃって、……お支度は、…… 晃 土橋の煮
染屋で竹の皮づつみと遣らかす、その方が早手廻だ。鰊の煮びたし、焼どうふ、可かろう....
「小春の狐」より 著者:泉鏡花
一度この温泉に宿った時、やっぱり朝のうち、……その時は町の方を歩行いて、通りの煮
染屋の戸口に、手拭を頸に菅笠を被った……このあたり浜から出る女の魚売が、天秤を下....
「細木香以」より 著者:森鴎外
お側去らずの取巻は冬映、最も愛せられていた幇間は都有中であった。 有中は素更紗
染屋の出身で、遊芸には通じていても文字を識らなかった。そこで貸本に由って知識を求....
「指輪一つ」より 著者:岡本綺堂
話し合ってみると、その男は西田といって、僕にはよく判りませんけれど、店の商売は絞
染屋だとかいうことで、まず相当に暮らしていたらしいのです。年のころは四十五六で、....
「私はかうして死んだ!」より 著者:平林初之輔
きましたがほんとうでしょうか?」と私は、私にその話をしてくれた、一軒おいて隣の京
染屋のお内儀《かみ》さんにきいてみた。 「妾《わたし》はよく知りませんけれど、何....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
我ながら男振を上げて、や、どんなもんだい。 人形町|居廻から築地辺、居酒屋、煮
染屋の出入、往復、風を払って伸しましたわ、すると大変。 暗がりを啣え楊枝、月夜....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
千年来の色々の家具が不用になって、後にはその名前までが忘れられ、そうして村里には
染屋が増加し、家々には縞帳と名づけて、競うて珍しい縞柄の見本を集め、機に携わる人....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
の町中で、しきりと今を楽しんでいるような繁昌を示しているのは鎧師とか、塗師とか、
染屋とか、鍛冶とか、馬具屋とかいう類の軍需品をうけ負っている工商の家々だった。 ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
穢多になったのは、皮を扱っていた為と存じます。その代りに一方には、京都に於ける藍
染屋・青屋の如き、仏法で嫌う職業であったので、遂に徳川時代のやや下った頃までも、....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
れらの徒に近づくのを以て、仏の戒律に背いたものだとまで解していた様である。かの藍
染屋の如きは、もとエタの徒と見做されていたのであるが、「谷響集」に、大方等陀羅尼....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
細工人の事は、委細別項「細工人考」について見てもらいたい。 古え青屋もしくは藍
染屋・紺屋などと呼ばれた染物業者は、エタの仲間と認められておった。 「雍州府志」....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
屋」と云って、真言寺の方では甚だしくこれを排斥したものであった。青屋はすなわち藍
染屋で、それがエタの種類であると云うことは、京都などでは余程後までも云っていた事....