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「柢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

柢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
私の父と母」より 著者:有島武郎
た。 父の教育からいえば、父の若い時代としては新しい教育を受けた方だが、その根をなしているものはやはり朱子学派の儒学《じゅがく》であって、その影響からは終生....
片信」より 著者:有島武郎
し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と....
宣言一つ」より 著者:有島武郎
の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根的解決は自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働者は....
想片」より 著者:有島武郎
言の中に人々間の精神交渉(それを彼はやさしいなつかしさをもって望見している)を根的に打ち崩《くず》したものは実にブルジョア文化を醸成《じょうせい》した資本主義....
時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
然主義」という名を最初からあまりにオオソライズして考えていたために、この矛盾を根まで深く解剖《かいぼう》し、検覈《けんかく》することを、そうしてそれが彼らの確....
水害雑録」より 著者:伊藤左千夫
振蕩して起った。 天神川も溢れ、竪川も溢れ、横川も溢れ出したのである。平和は根から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
こでも私に卑陋な行いをさせた。私の属していた団体の言葉を借りていえば、私の行の根には大それた高慢が働いていたと云える。 けれども私は小さな声で私にだけ囁きた....
春の潮」より 著者:伊藤左千夫
示し、それも省作との関係によると見てとった父は、自分の希望と自分の仕合せとが、根より破壊せられたごとく、落胆と憤懣と慚愧と一時に胸に湧き返った。 さりとて怒....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
と同一である。盲目的信仰は、断じて理性的確信の代理たることはできない。信ずべき根のある信仰と、信ずべき根のなき信仰とは、決して同一架上のものではない。われ等....
茶の湯の手帳」より 著者:伊藤左千夫
の形式などは自然に出来てくる一貫せる理想に依て家庭を整へ家庭を楽むは所有人事の根であるというに何人も異存はあるまい、食事という天則的な人事を利用してそれに礼儀....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
る。いいかえてみれば、支那文明のような当時なお相当勢力を有しておったものを全然根からくつがえしてこれに代うるに英、米の新文明をもってしようと努力したのである。....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
椿年も皆椿岳化してしまった。かつかくの如く縦横無礙に勝手|気儘に描いていても、根には多年の研鑽工風があったので、決して初めから出鱈目に描きなぐって達者になった....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
野暮臭い穿鑿と思っていた。露骨にいうと、こういうマジメな問題に興味を持つだけの根を持たなかった。が、不思議に新らしい傾向を直覚する明敏な頭を持っていて、魯文門....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
ティヴィズムであったろう。 この時代の愛読書であって、二葉亭の思想を豊かにし根を固くしたのはモーズレーの著述であった。殊にそのは最も熱心に反覆翫味して巨細に....
二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
り気難かし屋であったのだ。 二葉亭は一時哲学に耽った事があったが、その哲学の根は懐疑で、疑いがあるから哲学がある、疑いがなくて仮定の名の下に或る前提を定めて....