柳原[語句情報] »
柳原
「柳原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
柳原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
て、宿の者の眼につかないように着替えの衣服《きもの》や帯などをそっと抱え出して、
柳原の古着市へ忍んで行ったこともあった。それも長くはつづかないで、今の次郎左衛門....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 なにかの話から、神田の
柳原の噂が出たときに、老人はこう語った。 「やなぎ原の堤《どて》が切りくずされた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 「安政三年……十一月の十六日と覚えています。朝の七ツ(午前四時)頃に神田の
柳原|堤《どて》の近所に火事がありましてね。なに、四、五軒焼けで済んだのですが、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
や療治法などを聞きただした上で、さらに相生町の徳蔵の家《うち》をたずねてゆくと、
柳原|堤《どて》へ差しかかる頃に空はまったく明るくなって、ぬれた柳のしずくが光り....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らせた。そうして、ちょいと其処まで来てくれと云って、彼を左側の横町へ連れ込んだ。
柳原家の抱え屋敷と安楽寺という寺の間をぬけると、正面には一面の田畑が広く開けてい....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
」 「それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が空駕籠をかついで
柳原の堤を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
蝶も結局それを仕合わせにして、若隠居というほどの気楽な身分でもないが、ともかくも
柳原に近いところに小さい家を借りて、店の方から月々いくらかの小遣いを貰って暮らし....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
せん」と、お鉄は小声に力をこめて答えた。 二人はそれぎりで黙ってしまって、暗い
柳原の堤をならんで行った。たとい心中は嘘にしても、かの頬かむりの男とこのお鉄との....
「くろがね天狗」より 著者:海野十三
ぶりかに巡りあった行人が、くろがね天狗の装束を見るより早く逃げだすことを恐れた。
柳原の方から橋をコトコトと渡りはじめた珍らしき行人、――それは近づくままに、いた....
「湯女の魂」より 著者:泉鏡花
ょうと言ったのも、皆|手隙と見えて、一人々々|入交ったが、根津、鶯谷はさて置いて
柳原にもない顔だ、於雪と云うのはどうしたろう、おや女の名で、また寒くなった、これ....
「牛」より 著者:岡本綺堂
く。そうして、とうとう両国の広小路へ出ると、なんと思ったか一匹の牛は左へ切れて、
柳原の通りを筋違の方角へ駆けて行って、昌平橋のきわでどうやらこうやら取押えられた....
「瘤」より 著者:犬田卯
銭の剰余も不足もなく金ピカの大礼服及び付属品|一切代として決算せられたのである。
柳原ものではあるまいかと思われるような上下色沢の不揃いな金モール服が何と六百何円....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
通りを真すぐに切通し、寄席の求肥の、めがねへ出ました。すたすたもので、あれから、
柳原を両国まで、鉄道馬車で、あとはまた大|歩行きに歩行くつもりの、ところが、馬車....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
たのはその後であった。この簾藤時代が緑雨の最後の文人生活であった。(小田原時代や
柳原時代は文壇とはよほど縁が遠くなっていた。)緑雨が一葉の家へしげしげ出入し初め....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
折れ釘がたくさん付いてあるから、八人の衣服はことごとくこれにかけてある。あたかも
柳原の古着店のごとくに見ゆるは奇だ。靴みがきも洗濯も、みな船客自身でせなければな....