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桃園
「桃園〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
桃園の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「竇氏」より 著者:田中貢太郎
は霧のような雨が降っていた。庭へおりると婢が前にたって後園の方へ往った。其処には
桃園があって、青葉の葉陰に小さな実の見えるその樹の一株に青い紐を懸けて縊死してい....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
たらしく、母の方の事は、よく悪口云うが、孝次氏にだけは感心していた。 学校は、
桃園尋常小学校と云って、内安堂寺町の高地と、空堀筋の高地との間に挟まれている窪地....
「名娼満月」より 著者:夢野久作
人皇百十六代
桃園天皇の御治世。徳川中興の名将軍吉宗公の後を受けた天下泰平の真盛り。九代家重公....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
を立てた時、大阪も、父も、私に賛成してくれなかったからである。 尋常小学校は、
桃園を、高等小学校は、育英第一を(この三年時分から、先生に反抗するのを憶えた)、....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
った風の……」 半ば聞いて頷いた。ここで主人の云ったのは、それは浮島禅師、また
桃園居士などと呼ばれる、三島沼津を掛けた高持の隠居で。……何不足のない身の上とて....
「余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
には中《なかの》関白。小一條左大将済時卿は四月二十三日、六條左大臣、粟田右大臣、
桃園中納言保光卿は、三人とも五月八日一度に死んだ。山井大納言は六月十一日に亡き人....
「源氏物語」より 著者:紫式部
女王《にょおう》は打ち解けた返事をお書きになることもなかった。九月になって旧邸の
桃園の宮へお移りになったのを聞いて、そこには御|叔母《おば》の女五《にょご》の宮....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
の論部等も安置してあり立派な仏陀も沢山あります。室は二室あって前室の窓から望むと
桃園があります。
この辺の土地はツァーランよりはよほど低いので物が二季に取れま....
「夜の道づれ」より 著者:三好十郎
じや、大變だ。そうさなあ――ぜんたい、どつから來たの、あんたは? 男 こつちの、
桃園から十二莊の、なんだこの 御橋 そうか。じやねえ――いやいや、僕も五反田まで....
「三国志」より 著者:吉川英治
きなお茶です。……あしたの朝は、うんと早起きしましょう。そしておっ母さんは、裏の
桃園に莚をお敷きなさい。私は驢に乗って、ここから四里ほど先の鶏村まで行くと、とて....
「三国志」より 著者:吉川英治
つの時かふたたび満足に一体となることができよう。――忘れたか張飛。われら三人は、
桃園に義を結んで、兄弟の杯をかため、同年同日に生るるを求めず、同年同日に死なんと....
「三国志」より 著者:吉川英治
地だ。 桃の花が散ってくる。 詩は感じないでも、桃の花をみると二人は楼桑村の
桃園を憶いおこす。 張飛は、最前から独りでつまらなそうに樹の下に腰かけて頬杖つ....
「三国志」より 著者:吉川英治
れみを仰いだのは、当の関羽ではなくて、玄徳であった。 「わしと、関羽とは、むかし
桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する....
「三国志」より 著者:吉川英治
の大任は、蜀に入って戦う以上の大役である。貴公に嘱するほか他に人はない。むかし、
桃園の義を、ここに思い、この難役に当ってくれい」 孔明から説かれて、関羽は、 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
説くのに、心のうちでは、どんなに辛い気がしたか知れなかった。 「玄徳とは若い頃に
桃園で義兄弟の義をむすび、弟の孔明もつねに尊敬しておかないほどな将軍である。どん....