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「桑名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

桑名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
、初恋の場所でもないところの想い出に向って、それは妙であった。私たちは翌朝汽車で桑名へ向うことにした。 朝、ホテルを出発しようとすると、主人に訪問客があった。....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
あとで、そのお座席の左側は紀、尾、水、お三家の方々を筆頭に、雲州松平、会津松平、桑名松平なぞ御連枝の十八松平御一統がずらりと居並び、右側は寵臣《ちょうしん》柳沢....
乱世」より 著者:菊池寛
一 戊辰正月、鳥羽伏見の戦で、幕軍が敗れたという知らせが、初めて桑名藩に達したのは、今日限りで松飾りが取れようという、七日の午後であった。 同....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
立派な風をしていたそうです。 御承知でもございましょうが、江戸時代にはそこらは桑名藩の飛地であったそうで、町には藩の陣屋がありました。その陣屋に勤めている坂部....
単独行」より 著者:加藤文太郎
とです。雪は藤橋でもわずか五寸ほどで、材木坂の大部分はスキーをかつぎ、それからも桑名までは雪が少なくて夏道より他はブッシュでとても歩けず、ブナ坂や刈安峠はスキー....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
。 幕軍の中心は、仏蘭西伝習隊で、訓練もよく銃器も精鋭であった。それに、会津、桑名、松山、高松、浜田等の藩兵が加わっていた。 京軍の方は、毛利|内匠、山田市....
真田幸村」より 著者:菊池寛
男である。蜻蛉切り長槍を取って武功随一の男である。ある時、忠勝子息の忠朝と、居城桑名城の濠に船を浮べ、子息忠朝に、櫂であの葦をないで見よと云った。忠朝も、強力無....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
かなかったという。なんと言っても蛤御門の付近は最も激戦であった。この方面は会津、桑名の護るところであったからで。皇居の西南には樟の大樹がある。築地を楯とし家を砦....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
係をも異にしている。中には、大垣藩のように直接に伏見鳥羽の戦いに参加して、会津や桑名を助けようとしたようなところがなくもない。しかし、京都の形勢に対しては、各藩....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
と聞いても、馬は答えてくれないからね。」駕籠だと、駕籠かきが、へえ、もうそろそろ桑名です、と答えてくれる。ああ、駕籠に乗りたい。 「うまい事をおっしゃる。」勝太....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
を見合せますからね」 武士「あゝ左様かえ、貴公|些と遊びに来て下さらんかえ、私は桑名川村だから」 傳「じゃア隣り村で造作アございません」 武士「拙者も江戸児で、....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
一 宮重大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦びのあまり…… と口誦むように独言の、膝栗毛五編の上の読初め、....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
、浜の背後を劃している、松林が風で揺れてもいた。海は向こうまで七里あり、対岸には桑名だの四日市だのの、名高い駅路が点在していた。 よく晴れた日で暑かった。 ....
回想録」より 著者:高村光太郎
のが好きであった。自分で屋根の反りなどを考え、生地で彫物をつけたものだ。御輿には桑名の諸戸清六という人から頼まれて拵えたものだの、葭町の御輿などがある。これらは....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
と称し、人を騙すものとして恐れていたというのである。今去る九月に長野県|下水内郡桑名川へ行った時の聞書をまずここに断片的に紹介してみる。 越後の中魚沼郡と信濃....