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桜田
「桜田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
桜田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
山五万石板倉|周防守《すおうのかみ》の藩中であると云うので、辻番所からはすぐに外
桜田の板倉家へ使を出しました。 その使の帰るのを待つあいだに、千右衛門は失礼な....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
安太郎が、友達五、六人と清元の師匠の家に寄り集まったとき、その一人が云い出して、
桜田門の見附《みつけ》の桝形のまん中に坐って、握り飯三つと酒一合を飲み食いした者....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
げる金が要るので、なにか金儲けの種をこしらえようと思っているところへ、井伊大老の
桜田事件などが出来して、世間がなんだかざわ付いているので、そこへ付け込んで今年も....
「赤外線男」より 著者:海野十三
てしまった。そこへ警視庁から重ねての呼び出しが来たので今朝、姪のダリアを介添えに
桜田門へ行ったというのだ。 本庁では、伯父に対して、どんな些細なことでもよいか....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の
桜田門外、地方裁判所の横手、のちに府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
あるのかも知れない。三月三日でも梅沢君に雛祭りをするような女の子はない。まさかに
桜田浪士の追悼会を催すわけでもあるまい。そんなことを考えているうちに、いい塩梅に....
「火星兵団」より 著者:海野十三
警視総監も、さぞ驚かれることであろう。
課長の乗った自動車は、お濠を右に見て、
桜田門の向かいに立ついかめしい建物の玄関に着いた。この建物こそ、わが帝都を護る大....
「経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
一 吉田君は語る。 万延元年――かの井伊大老の
桜田事変の年である。――九月二十四日の夕七つ半頃(午後五時)に二挺の駕籠が東海道....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
浪の壮士が御老中にても暗殺せしにはあらざる歟と。老僕聞て大に驚き、過る三月三日、
桜田の一条を語りければ、一船ここに至りて皆はじめて愕然たり。 予が新銭座の宅と....
「江戸の化物」より 著者:岡本綺堂
そが大地に叩きつけられて死んでいた、ということです。 日比谷の亀も有名でした。
桜田見附から日比谷へ行く濠の底に大きい亀が棲んでいたということで、この亀が浮き出....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ってしまった。彼ばかりではない、狂言作者のうちで、かの三代目|瀬川如皐や三代目|
桜田治助のごときも明治以後は一向に振わなくなった。所詮その芸風や作風が明治の観客....
「御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の
桜田門外、地方裁判所の横手、後に府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大き....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
半四郎、芝翫の一座にて、大阪より中村宗十郎も上京して加入す。 ○八月七日、三代目
桜田治助死す、七十六歳。明治以後は多く振るわざりしが、江戸末期における著名の狂言....
「黒猫十三」より 著者:大倉燁子
んで、悠然と、せいぜい心を落ち付けて出掛けたが、胸の心悸は容易に治まらなかった。
桜田門で電車を降りたが、今日位警視庁が厳しく、恐しいものに見えたことはなかった。....
「新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
て、この事は非常なうれしい出来事であった。後になってわかったのであるが、これは、
桜田本郷町の磯ヶ谷額ぶち店が当時展覧会出品のいろ/\の作家の売れ残り品やあずかり....