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桟道
「桟道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
桟道の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「あらくれ」より 著者:徳田秋声
頃自分の手に買取ったその山のある一部の森林を見廻っているとき、雨《あま》あがりの
桟道《そばみち》にかけてある橋の板を踏すべらして、崖《がけ》へ転《ころが》り陥《....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
は思った。道は、その絶壁に絶たれ、その絶壁の中腹を、松、杉などの丸太を鎖で連ねた
桟道が、危げに伝っている。かよわい婦女子でなくとも、俯して五丈に余る水面を見、仰....
「名人伝」より 著者:中島敦
つつ、彼はひたすらに道を急ぐ。足裏を破り脛《すね》を傷つけ、危巌《きがん》を攀じ
桟道《さんどう》を渡って、一月の後に彼はようやく目指す山顛《さんてん》に辿《たど....
「坑夫」より 著者:夏目漱石
、遁《のが》れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は蜀《しょく》の
桟道《さんどう》と云う事を人から聞いて覚えていた。この梯子は、
桟道を逆《さかさ》....
「陳宝祠」より 著者:田中貢太郎
杜陽と僕の二人は山道にかかっていた。足がかりのない山腹の巌から巌へ木をわたしてしつらえた
桟道には、ところどころ深い壑底の覗かれる穴が開いていて魂をひやひやさした。その壑....
「伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
た、安からぬ胸の波動で、なお且つ飜々とふるいながら、衝と飛退くように、滝の下行く
桟道の橋に退いた。 石の反橋である。巌と石の、いずれにも累れる牡丹の花のごとき....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
いますよ。」 主人は、パッパッと二つばかり、巻莨を深く吸って、 「……この石の
桟道が、はじめて掛りました。……まず、開通式といった日に、ここの村長――唯今でも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
峠が下りになってから五六丁のところで、そこは俗に坊主沢《ぼうずさわ》といって橋の
桟道《さんどう》がいくつもかかっていて、下には清流が滾々《こんこん》と流れている....
「源氏物語」より 著者:紫式部
恥ずかしいかもしれないからと大姫君は思っていても、返辞はできないで、 雪深き山の
桟道君ならでまたふみ通ふ跡を見ぬかな こう書いて出すと、 「釈明のお言葉を承り....
「西航日録」より 著者:井上円了
を有せざるとに帰す。しかしてこの欠点を補うに、人工的装置をもってす。例えば海上に
桟道を設け、丘上に鉄路を架し、遊歩場、遊覧所等、実に美にしてかつ大なり。またその....
「三国志」より 著者:吉川英治
橋梁をかけ蔦葛の岩根を攀じ、わずかに人馬の通れる程度なので、世にこれを、 「蜀の
桟道」と呼ばれている。 さて、こういう蜀も、遂に、時代の外の別天地ではあり得な....
「三国志」より 著者:吉川英治
、大本営をそこにおいた」 という情報が的確になった。 いわゆる天下の嶮、蜀の
桟道をこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、※陽に着くと、....
「三国志」より 著者:吉川英治
三国志演義」そのままに従えば、五丈原以後――「孔明|計ヲ遺シテ魏延ヲ斬ラシム」の
桟道焼打ちのことからなお続いて、魏帝|曹叡の栄華期と乱行ぶりを描き、司馬父子の擡....
「黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
いていた。水の涸れた九月には、ここから下りて河の中が歩けるという。これから針金や
桟道の残っている岩壁の横を二度|許り通って、草の茂った急崖を一息に下ると、蜆谷の....