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桶狭間
「桶狭間〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
桶狭間の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
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「東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
。 三河と美濃の国境だという境橋を渡って、道はだんだん丘陵の間に入り、この辺が
桶狭間《おけはざま》の古戦場だという田圃みちを通った。戦場にしては案外狭く感じた....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
で厳島へ渡ってしまった。三河守も是非なく、陶から二日遅れて、厳島へ渡った。信長は
桶狭間という狭隘の土地で今川義元を短兵急に襲って、首級をあげたが、併しそのやり方....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
て信長大いに行状を改めたが同時に、その天稟の武威を振い出した。 十六歳の時から
桶狭間合戦の二十七歳までは席の安まる間もなく戦塵をあびて、自らの地盤を確保するに....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
勝頼が天目山で死んだのは天正十年だが、武田はこの一戦で敗亡の形を現したのである。
桶狭間では必死奇兵を弄して義元を倒した信長は、ここでは味方の多勢を頼んで万全の戦....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
が家族の反対に関せず、何を措いても彼女の父の結婚及渡米の許諾を獲べく、単刀直入|
桶狭間の本陣に斬込まねばならぬと考えた。
五
朧月の夜、葛城....
「旅愁」より 著者:横光利一
くるのだった。
「人間五十年、化転の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり――」
桶狭間の決戦にのぞみ信長の舞った敦盛の謡いが、本能寺を見ている矢代の口にも自然に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
弱い、少なくとも木下藤吉郎を家来に持っていた信長、味方の全軍が覆没しても驚かず、
桶狭間《おけはざま》で泰然としていた信長、たとえ一|目《もく》なり二目なり置いて....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
頭を上げるこたあできねえ、人間万事、夢のようなものさ。そういえばそれ、この城から
桶狭間《おけはざま》へ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあ....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
《つら》かったであろう。 また信長《のぶなが》が寡兵《かへい》を督《とく》して
桶狭間《おけはざま》に突進するに先だち、いかほど心を労したろう。また西郷南洲《さ....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
もと》、数万の兵を率いて織田信長《おだのぶなが》を攻めんとせしとき、信長の策にて
桶狭間《おけはざま》に伏勢《ふせぜい》を設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りし....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
た。
武蔵の考えは、その戦法は――もう疾くから胸に決まっていたものらしい。彼は
桶狭間の信長に思い合わせ、鵯越えの故智に倣って、あの当然に選ばなければならないは....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ていなかったろう。 いかに義貞が、時を惜しんでいたかがわかる。このさいの彼は、
桶狭間の織田信長に似ている。いや信長は後代の人だから、故智を習んだものではない。....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ていた。そして、宮本武蔵などはまだ生れてもいなかったし、伊藤弥五郎一刀斎なども、
桶狭間の合戦のあった永禄三年の年、伊豆で産声をあげていたので、武蔵はそれより遅る....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
お互いの者と同じように、織田家そのものの業もまだ若いのだ。考えても見られい。つい
桶狭間の一戦あって以来の織田家だ。あの時、わが主君には二十五歳でおわしたから、今....