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「梅村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

梅村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
明暗」より 著者:夏目漱石
字の重なっている書物は全く読めないのだと断った。それでもこちらから借りに行った呉梅村詩《ごばいそんし》という四文字《よもじ》を的《あて》に、書棚をあっちこっちと....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ぞのやかましい連中が集まっていたという二条|衣の棚――それから、同門の野代広助、梅村真一郎、それに正香その人をも従えながら、秋田藩|物頭役として入京していた平田....
縮図」より 著者:徳田秋声
るだけに、容体ただならずと見てお神もあわて、さっそく電話で係りつけの医師を呼び、梅村医師が時を移さず駈けつけて来たところで、診察の結果、それが急性の悪性肺炎とわ....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。年は七十二歳であった。独美は文化十三年九月六日に八十三歳で歿した。遺骸は向島小梅村の嶺松寺に葬られた。 独美、字は善卿、通称は瑞仙、錦橋また蟾翁と号した。そ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
堅し、ただし本の方は和らかくして、また右の方にも生え立ちし角見え申し候と見ゆ。『梅村載筆』に、義堂の詩三句ながら同字を蹈む事日本で始めなり、その詩は、〈馬頭角を....
十二支考」より 著者:南方熊楠
みしを郭璞《かくはく》の勧めにより猴と馴れしめて癒えたとあるに基づくといえど、『梅村載筆』には猿を厩に維ぐは馬によしという事、『周礼註疏』にありと記す。現に座右....
十二支考」より 著者:南方熊楠
見て、我を源氏の方へ訴えて捕えんとするにやと心得、大刀抜き大日を切り殺しける(『梅村載筆』八巻)。 『摂陽群談』四、島下郡吹田村、涙池、土俗伝えていう。昔この所....
ニッポン三週間」より 著者:宮本百合子
は来年の春までに数万人の失業者を更に街頭に送り出すであろう。 J・O・A・K!梅村蓉子は今度結婚することになりました。 浜口首相の腹へピストルの玉がとび込ん....
三つの挿話」より 著者:堀辰雄
からずんずん引っ返していった。 註一 「わたくしは幼い時|向島《むこうじま》小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
大和朝廷をうけいれずにかなりの期間ただヒダ一国のみがガンコに抗争して以来、明治の梅村事件に至るまで、何かにつけて妙にガンコな抗争運動をシバシバ起しているのである....
水鳥亭」より 著者:坂口安吾
一匹のイワシ 日曜の夜になると、梅村亮作の女房信子はさッさとフトンをかぶって、ねてしもう。娘の克子もそれにならっ....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
放って迫ったから、十人にとりまかれては一大事。アバヨ、と逃げる。その足の速さは青梅村の百兵衛だって遠く及ばない。そのころはオリムピックがなかったから仕方がないが....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
つづきで田にはよく稲が育って、あちこちで蛙がころころ鳴いて、前に長く住んだ向島小梅村の家を思い出しました。いつまでも飽きずにじっとしていましたら、上から「おい、....
向嶋」より 著者:永井荷風
学海《よだがっかい》、成島柳北がある。詩人には伊藤聴秋《いとうていしゅう》、瓜生梅村《うりゅうばいそん》、関根癡堂《せきねちどう》がある。書家には西川春洞《にし....
梅ちらほら」より 著者:吉川英治
の人が、梅を伐った話を書いたら、すぐ朝日の投書欄へ、村の出身者の抗議文が載った。梅村の住民には、そんな非愛郷心の持ち主はないというのである。それほど、吉野村は、....