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「梟首〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

梟首の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
のお芳《よし》、窃盗きんちゃっ切りの罪重なるをもって四月三日死罪に処せられしうえ梟首獄門《きょうしゅごくもん》。座頭《ざとう》松の市、朋輩《ほうばい》をあやめし....
乱世」より 著者:菊池寛
日の夜明けだな、案ずるに」 彼は苦笑しながら、みんなを見返った。 「五人だけは梟首か。拙者は免れぬな、あははは」 市左衛門がそういった。彼は獄門台の数を数え....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
になる三男の熊五郎の名も出ていた。この六名はみな死罪で、ことに桃丸と三郎の二名は梟首を命ぜられた。 「市川党もずいぶん惨酷をきわめましたね。こいつを生かして置い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
道軍の軍規を犯した同藩の侍が野尻宿で打ち首になり、さらに馬籠の宿はずれで三日間|梟首の刑に処せらるるというものの首級なのだ。半蔵は急いで本陣を出、この扱いを相談....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
これを死刑に処せしめた。 或時浅草辺で五人の賭博者を捕えて、五人共に同じ場所に梟首《きょうしゅ》してあったのを、家康が鷹野に出た途上でこれを見て、帰城の後刑吏....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
であった。信長に至っては自家集権を欲するに際して、納屋衆の崛強を悪み、之を殺して梟首し、以て人民を恐怖せしめざるを得無かったほどであった。いや、其様な後の事を説....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いのが出て来て、 「何の御用でござりまする」 「あの宮の辻と申すところに出ている梟首《さらしくび》のことに就いてお尋ね致しとうござるが」 「あ、あの梟首のことに....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
として晒された宇治山田の米友の姿は、晒し場から跡を消して、そのあとへ別に一つの「梟首《きょうしゅ》」が行われました。首が晒されているのです。つまり、生きた人間を....
照葉狂言」より 著者:泉鏡花
」 と言いかけて少し歩み寄りたり。その不快なる顔、垣の上にヌト出でて、あたかも梟首せられたるもののごとくに見ゆ。 「小稲ですか。」 「小……稲、いや、違うた。....
魔都」より 著者:久生十蘭
へ忽然と姿を現わしたところを、警衛の武士に発見されて捕われ、同年十月廿二日浅草で梟首になった。 明治四十四年に刊行された「東京市水道小誌」を見ると、明治四十年....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
いくらジタバタしたってもう逃しっこはない。伝馬町の獄門台へ豚尾《とんび》のついた梟首《さらしくび》を押載《おしの》せてやるから待っておれ……何を魂消《たまげ》た....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
の苦悩悔恨をも蔵せざるが如くに反映したり。看《み》ずや北斎は獄門にかけたる罪囚の梟首《きょうしゅ》に対して、その乱れたる長き頭髪は苦悩の汗に濡《ぬ》れ、喰縛《く....
せいばい」より 著者:服部之総
る。 「牢内打首」より一段重い死刑は、牢内打首と同じ段取りで打った首だけをさらに梟首《きょうしゅ》するもので、「獄門《ごくもん》」とよばれるのがそれであった。多....
尊攘戦略史」より 著者:服部之総
ぜられ、いわゆる学習院党を形成して、討幕的尊攘策の根源地をなした。文久三年三月、梟首《きょうしゅ》された尊氏《たかうじ》父子の木像に迎えられて将軍が上洛してのち....
私本太平記」より 著者:吉川英治
右、連れはまだ十七、八かとみえる初々しい女性が、いずれも被衣して忍びやかにそこの梟首台の前へ来てじっと果てなくたたずんでいるさまだった。そして変り果てたさらし首....