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「森有礼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

森有礼の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
近時政論考」より 著者:陸羯南
死を致すがごときを排斥し、もって自由主義を唱道す。ことに男尊女卑の弊害を論じて故森有礼氏とともに男女同権論を唱えたるは当時の社会をしてすこぶる驚愕せしめたり、こ....
思想と風俗」より 著者:戸坂潤
伝統から生じて来たのではなくて、社会全般の思想的反動から結果したのである。かつて森有礼時代の文部大臣は社会の建設に対して嚮導的な意義を有っていたが、その後文相は....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
治外法権廃止の提議をなさんがために同会に出席したことがあった。イギリスからは公使森有礼君、法学士西川鉄次郎君、オーストリヤからは書記官河島醇君も出席した。 こ....
婦人作家」より 著者:宮本百合子
禁止法、男子に等しい義務教育令の制定や、福沢諭吉の一夫一婦論、廃娼論とならんで、森有礼が『明六雑誌』に「妻妾論」を書いて当時のいわゆる「権妻」の風習に反対したこ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
んな考えがその頃から出来て、遂に今日に至っても変らないのである。 十八年の末に森有礼《もりありのり》氏が文部大臣となって兼て抱いていた学事の改革を実行せらるる....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
はそれをまた心配していた。 なぜなら、その目出たい日の午前《あさ》、文部大臣|森有礼《もりゆうれい》が殺されたと、玄関から駈《か》け込んできて知らせたものがあ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
明治七年に日本で殆どはじめて明六社雑誌というのが出て、その同人に西周、加藤弘之、森有礼その他のうち、西村茂樹が加って居るのを見て面白く思いました。てっちゃんのお....
図書館法の成立」より 著者:中井正一
達は、そんな重大な政治を、その時行なっているとは思っていなかったであろう。独り、森有礼は、暗殺されるほどの先見の眼をもっていたにしても、しかし、日本が半世紀で、....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
時としては激情の形で迸り出ようとすることがある。 憲法発布の日には、時の文相|森有礼が暴漢のために刺殺された。事実の痛ましさはめでたい記念日の賑いに浮き立って....
回想録」より 著者:高村光太郎
ものだ。当るのには訳があって私は谷中の墓地は隅々まで精通していたから、文部大臣の森有礼を暗殺した西野文太郎の墓石を砕いてその一片を懐にして行くのである。私には確....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の日憲法発布の式場へ参列のため大礼服をつけて官舎を出るところを玄関前で文部大臣の森有礼氏が刺客に刺されたのであった。お目出たいことのあった後の不祥事で人々は驚い....
熱情の人」より 著者:久保栄
しかし七草会の「俊寛」「忠義」「第一の世界」も、その後の「オセロ」「シイザア」「森有礼」「西山物語」「金玉均」も、また先生の最後の筆になる「毛剃」の改作も、広義....
ハイカラ考」より 著者:木村荘八
人出に、往来は夜になると至るところコチコチに踏みかためられたという――文部大臣の森有礼がまだ降りやまない雪の中を、参賀に出ようとすると、あっという間に刺客の手に....
四十年前」より 著者:内田魯庵
侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国....
北海道に就いての印象」より 著者:有島武郎
道の開拓者の内助者たらしめようとしたこともある。当時米国の公使として令名のあった森有礼氏に是非米国の婦人を細君として迎えろと勤めたというのもその人だ。然し黒田氏....