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楊貴妃
「楊貴妃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
楊貴妃の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
ら、玄宗皇帝とよく似ていた。お半の方を得て以来は、両者は一層酷似した。玄宗皇帝が
楊貴妃を得て、すっかり政事に興味を失い、日夜歓楽に耽ったように、宗春も愛妾お半の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
て向い立つと、さしもの高鼻たちまち参ったと『日本紀』二の巻に出づ。 玄宗皇帝が
楊貴妃浴を出て鏡に対し一乳を露わすを捫弄《もんろう》して軟温新剥鶏頭肉というと、....
「みさごの鮨」より 著者:泉鏡花
。 ところでその金屏風の絵が、極彩色の狩野の何某在銘で、玄宗皇帝が同じ榻子に、
楊貴妃ともたれ合って、笛を吹いている処だから余程可笑しい。 それは次のような場....
「長崎の印象」より 著者:宮本百合子
読む。可愛く若い福島屋の細君が、 「――鶴の枕でも、御覧になりませんか、何でも、
楊貴妃が使ったものなんでございますって。頭をのっけると鶴の鳴声が致しますんだそう....
「源氏物語」より 著者:紫式部
おいでになるのであった。このごろ始終帝の御覧になるものは、玄宗《げんそう》皇帝と
楊貴妃《ようきひ》の恋を題材にした白楽天の長恨歌《ちょうごんか》を、亭子院《てい....
「友人」より 著者:上村松園
ある。 小野小町、清少納言、紫式部、亀遊、税所敦子――そのほかいくらでもある。
楊貴妃、西太后……数えればきりがない。 心の友は永久に別れることのない友である....
「あるニュウ・フェイスへの手紙」より 著者:岸田国士
た。 歌舞伎座での、滝沢修君の演技も、二た役とも、なかなか立派でした。ことに「
楊貴妃」の高力士の役は、日本の俳優として、まったく新しい性格表現の型を発明したよ....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
て
「何か、急用でもあるのか」
「ござります」
「又、お金かえ」
「母上、支那の
楊貴妃を御存じでしょうが――譬《たと》えますと、父上は、玄宗皇帝――」
将曹が....
「人生三つの愉しみ」より 著者:坂口安吾
殿に常に満々と湯を満したり、蒸気を満したりする設備が不可能でもあったろう。玄宗と
楊貴妃が温泉にひたって快楽を満喫したのも有名な話。日本は温泉の国で、湯泉場にドン....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
の造詣《ぞうけい》も深く、書家でもあった。錦子が、北斎《ほくさい》の描いたという
楊貴妃《ようきひ》の幅《ふく》が気に入って、父にねだって手に入れた時、それにあう....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
十回出品(推薦) 同 七年 「焔」文展第十二回出品「天人」 同 十一年 「
楊貴妃」帝展第四回出品 同 十五年 「娘」聖徳太子奉賛展出品「待月」帝展第七回....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
ういうモデルを探した。ところが揚州は古来美人の産地として有名なところであり、唐の
楊貴妃もここの産であったという。揚州へ行けばきっとそういう婦人がいるという話をき....
「健康と仕事」より 著者:上村松園
で自分の体に感心することがある。 若いころ春季の出品に明皇花を賞す図で、玄宗と
楊貴妃が宮苑で牡丹を見る図を描いたときは、四日三晩のあいだ全くの一睡もしなかった....
「芙蓉の花にも似た美しい楊貴妃を」より 著者:上村松園
近頃取りかかったばかりで明日辺りから墨を当てようかというところなのです。画題は〈
楊貴妃〉それもあの湯上りの美しい肌を柔らかな羅に包んで勾欄に凭れながら夢殿の花園....
「冷かされた桃割娘」より 著者:上村松園
か聞いては写しに行ったものでした。 八坂さんの絵馬堂にもよく行きました。北野の
楊貴妃の図などは今もはっきり覚えています。当時はまだ絵具の色も十分残っていました....