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「極楽寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

極楽寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或る女」より 著者:有島武郎
い》らないものを預けて、江《え》の島《しま》のほうまで車を走らした。 帰りには極楽寺《ごくらくじ》坂の下で二人とも車を捨てて海岸に出た。もう日は稲村《いなむら....
オリンポスの果実」より 著者:田中英光
さき》につい昨年|迄《まで》、おられたことが解《わか》り、二人の間に、七里ヶ浜や極楽寺《ごくらくじ》辺《あた》りの景色や土地の人の噂《うわさ》などがはずみ、ぼく....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
川の軍勢、設楽の高原に着くや、信長(此時四十二歳)自らは柴田勝家を従えて、設楽村極楽寺山に本陣を据えた。嫡男信忠(年十九)は河尻秀隆を従えて、矢部村勅養寺附近の....
源氏物語」より 著者:紫式部
たほうがよいかもしれないなどと思っていたが、三月の二十日は大宮の御忌日であって、極楽寺へ一族の参詣することがあった。内大臣は子息たちを皆引き連れて行っていて、す....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
ある精神の使徒を私は期待することを禁じ得ない。 当局及び諸宗は震駭した。中にも極楽寺の良観は、日蓮は宗教に名をかって政治の転覆をはかる者であると讒訴した。時節....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は、もとよりその片貌すらも窺い得ない。 が、一般の雑人たちも、昼間、腰越口から極楽寺坂を経て、町中を駈飛ばして行った早馬が、柳営の一門へ入ったことは眼に見てお....
私本太平記」より 著者:吉川英治
条公明。 もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。 幕府は、極楽寺坂まで、大勢の騎馬|徒士を繰り出して迎えたが、執権高時は、 「折あしく、発....
私本太平記」より 著者:吉川英治
きが、 往来止め の制札だった。 やっと、時親と大蔵が、京の大和大路の口、極楽寺へんにたどりついたのは、また一ト晩を、木賃に寝ての翌日となっている。――し....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ものだった。 「七郎、大手への先陣をつとめろ。――すぐ腰越から七里ヶ浜を駈けて、極楽寺の下へせまるのだ」 「これは……」と、蔵人ノ七郎は武者ぶるいにふるえ。「身....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
蔵様であったことが知れて、大評判になったということです。 ところがまた八王子の極楽寺という寺でも、これは地蔵ではないが、本尊の阿弥陀様を、鼻取|如来と呼んでお....