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「権大納言〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

権大納言の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
丈一尺七寸余あったと認めている。大内家との親しみはそれのみでなく、延徳元年実隆が権大納言になった時には、政弘から昇進の祝として太刀用脚等の贈遺があり、実隆の方で....
源氏物語」より 著者:紫式部
は何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。 間もなく源氏は本官に復した上、権大納言《ごんだいなごん》も兼ねる辞令を得た。侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえさ....
源氏物語」より 著者:紫式部
朝廷でも非常にお惜しみになって、いよいよ危篤ということが天聴に達すると、にわかに権大納言に昇任おさせになった。この感激によって元気が出てもう一度だけは参内をする....
源氏物語」より 著者:紫式部
亡き人の手なれの笛に寄りもこし夢の ゆくへの寒き夜半かな (晶子)権大納言の死を惜しむ者が多く、月日がたっても依然として恋しく思う人ばかりであった....
源氏物語」より 著者:紫式部
日に直物といって、一月の除目の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍....
法然行伝」より 著者:中里介山
門の方は、とにかく、興福寺の憤りは猶止まない。翌年九月に蜂起して法然並にその弟子権大納言公継を重き罪に行われたいということを訴えた。しかしながら朝廷の上下に法然....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
望みは空しくなった。 建保六年、二十七歳の年、正月には閑院内裏造営の恩賞として権大納言、三月|左近衛大将、十月内大臣、十二月右大臣に昇り、この年母政子も従二位....
私本太平記」より 著者:吉川英治
お介添えの女房を移し参らす儀はかまいない。しかし三位ノ局ひとりではならぬ。ほかに権大納言ノ局と小宰相のふたりをも合せてお側におき申せ。 「出来た」 道誉は笑っ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
見にでも行くような心地よな」 と、微苦笑された。 それで妃の廉子や小宰相や、権大納言ノ局たちも、思い出したことだった。ちょうど去年の今日である。三月七日。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
が興ふかい。――三位ノ典侍|廉子を見ては、豊麗な美女だがそろそろ年増だナと思い、権大納言ノ局をうかがっては、 「男と生れたからには、いちどはあんな女を」 と、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
からい願いたく」と朝へ手続きをとらせたのだった。 「戻りまいた。――折よく閑院ノ権大納言さまにお目通りを得、仰せには、はかろうてやる、お沙汰を待てとのこと。まず....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いたものであったろうと想像される。 そして、女装された後醍醐のきみには、細川ノ権大納言|光継と二、三人の蔵人がつき添い、また、酒商人に化けていた男と、怪武士の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ない直義ではあるにしろ、彼にも決して悪い気はしなかった。 さきに。 尊氏は、権大納言にのぼり、直義は、参議となった。しかし世人は、直義のありかたと、幕府のた....