権守[語句情報] » 権守

「権守〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

権守の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
だる》程の大蛇が棲《す》んでおって、麓の村へ出てはしばしば人畜を害したので、須藤権守《すどうごんのかみ》という豪傑が退治したという口碑が伝わっている。現に今でも....
十二支考」より 著者:南方熊楠
に住み兼ねて東国へ落ち下り相模国《さがみのくに》の住人|海老名《えびな》の源八|権守《ごんのかみ》季貞と都にて芳心したりし事ありける間この宿所を頼みてゐたりける....
源氏物語」より 著者:紫式部
のかね。理由がありそうだね、隠しているのはどんなことだ」 「真実は守(時方は出雲権守でもあった)さんの手紙を女房へ渡しに来るのさ」 随身は想像と違ったこの答え....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ラクリだったのだろう。そして、それに連座したカドであると称してタチバナ末茂がヒダ権守となって左遷された。そして、ずいぶん長くヒダにとどまって、官位も上っています....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
煙霞老身を寄す 錬汞服沙一日に非ず 古木再び春に逢ふ無かる可けん 河鯉権守 夫れ遠謀|禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり※を舁ぐの孤児戦場に趁く ....
註文帳」より 著者:泉鏡花
雨戸を横え、赤毛布を敷いて並べてある。 「いずれそうよ、出処は確なものだ。川尻|権守、溝中長左衛門ね、掃溜衛門之介などからお下り遊ばしたろう。」 「愚哉々々、こ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
工藤右衛門尉祐貞を蝦夷追罰使として進発せしめ、翌年さらに宇都宮五郎高貞・小田尾張権守高知を追討に向わしめたが、三年十月に至ってこの高貞・高知ら和談の儀をもって帰....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
の酋長はともかくも都人と姻戚の関係を結んだ。頼時の長子貞任はさらに深入りして陸奥権守藤原説貞の娘を妻に申し受けたいと懇望した。これは身分卑しとの故に拒絶せられた....
法然行伝」より 著者:中里介山
じゃり》皇円の許《もと》に入室させた。 この皇円阿闍梨は、粟田関白四代後の三河権守重兼が嫡男であって、少納言資隆|朝臣《あそん》の長兄にあたり、椙生《すぐう》....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
なったのは承久三年、定家六十歳であった。この二十年に定家は正三位参議民部卿|播磨権守に昇っていた。 しかしそれの一方、次第に後鳥羽院の御趣味とぴったり合わなく....
私本太平記」より 著者:吉川英治
思い出を、むしろ愉しげに、語り出した。 女は、中宮仕えの少弁ノ局といい、伊賀の権守橘ノ成忠の娘だった。 まだその頃、北面伺候の二十六、七の若武士にすぎなかっ....