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権田
「権田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
権田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
女房の云う通り、秋と冬との変り目の十月にはいって、朝夕は急に寒くなった。殊に
権田原《ごんだわら》の広い野原を近所に控えている此処らは、木枯らしと云いそうな西....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
で死んだ殺人者だ、養母殺しの罪人だ、成るほど考えて見ると其のお夏の死骸を、弁護士
権田時介と云う者が、前年自分が弁護した由縁《ゆかり》で引き取って此の屋敷へ埋めた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、青山の権太原《ごんだわら》……今はいつの間にか
権田原という字に変っているようです……の武家屋敷から火事が始まったんです。この日....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
芝居の前へ行った。その頃の青山には、今の人たちの知らない町の名が多い。久保町から
権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いてい....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
行寄食して隠れていられるのも、伊那の谷なればこそだ。また、たとえば長谷川鉄之進、
権田直助、落合|直亮らの志士たちが小野の倉沢家に来たり投じて潜伏していられるとい....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の変名で岩倉家に身を寄せる原|遊斎、伊那での長い潜伏時代から活き返って来たような
権田直助、その弟子井上頼圀、それから再度上京して来て施薬院の岩倉家に来客の応接や....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
政の上に重要な役割をつとめた中心の舞台である。師の周囲には平田|延胤、師岡正胤、
権田直助、丸山|作楽、矢野|玄道、それから半蔵にはことに親しみの深い暮田正香らの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ほとんど身の廻りの範囲にだけしか、取材が及ばないのも、やむを得ないことでしょう。
権田原《ごんだわら》の奥方は、美人でいらっしゃるには相違ないが、権があり過ぎて親....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて
権田川原に屯《たむろ》し、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
まるもの数千人、ことに甲賀郡西部方面から押し出した農民は、水口藩警固の間をそれて
権田河原《ごんだがわら》に屯《たむろ》し、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破....
「離魂病」より 著者:岡本綺堂
ってその横顔を覗くことが出来ないので、かれは苛々しながら付けてゆくと、娘はやがて
権田原につづく広い草原に出た。ここは草深いが中にも草深いところで、夏から秋にかけ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
なかったのである。 附添いの先生は、次郎や竜一たちを四年から受持ってくれていた
権田原先生だった。 この先生は、児童たちが何かいたずらでもやっているのを見つけ....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
ことを、彼自身強いて拒もうとしていた相手だったからである。 この場合、次郎が、
権田原先生の教えをうけていたということは、何という仕合わせなことであったろう。権....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
る。 長井の赤土山について安珍坂《あんちんざか》をおりたとすると、青山一丁目|
権田原《ごんだわら》の木戸。 お濠にそって紀伊国坂をくだったとして、そこから外....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
る陸軍の賜物《たまもの》ではないか。 私は慶応義塾に通う電車の道すがら、信濃町
権田原《しなのまちごんだわら》を経《へ》、青山の大通を横切って三聯隊裏《さんれん....