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「樸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

樸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
は原本的に消極的対他関係に立つために「いき」の有する媚態をもち得ない。その代りに素《ぼくそ》な地味は、一種の「さび」を見せて「いき」のうちの「諦め」に通う可能....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
討の上、御教示を賜わらんことを切にお願い申上げる次第である。「東亜連盟」誌上の橘氏の発表に対しては、私は心から感激している。....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
く、儼としてそれ客のごとく、渙として冰のまさに釈けんとするがごとく、敦としてそれのごとく、曠としてそれ谷のごとく、渾としてそれ濁るがごとし(二二)。」士にとっ....
風流仏」より 著者:幸田露伴
末長く御眼かけられて御不勝ながら真実の妹とも思しめされて下さりませと、演る口上に厚なる山家育ちのたのもしき所見えて室香嬉敷、重き頭をあげてよき程に挨拶すれば、....
雁坂越」より 著者:幸田露伴
ないでいるのは、一つはお浪の心安立からでもあろうが、やはりまだ大人びぬ田舎娘の素なところからであろう。 源三の方は道を歩いて来たためにちと脚が草臥ているから....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
だ。 こんな平凡な話をなぜ私は書くのか。それはその時の愛し愛されている温い、素な空気の幸福がその後の私の人生にどんなに稀なものであったかを思うからだ。そんな....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
ことを解せしも、その生業としては主として狩猟にありしもののごとし。さればその性素勇悍にして、君に仕えては「海行かば水浸く屍、山行かば草生す屍、大君の辺にこそ死....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
いる時でも従五位勲何等の局長閣下でなくて一個の処士|自恃庵主人であった。浜田は簡質素の学究、古川は卓落|不覊の逸民、陸は狷介気を吐く野客であった。而して玄関番....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
」の二字を以てこれを表わし、日本紀以下我が国でも往々この文字を採用し、その勇猛純であることから、奈良朝前後の人名に、甚だ多くこれが呼ばれているのである。およそ....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
る。里人が次第に都の文化に親しみ、所謂「公民」となった後にも、山間の住民は依然素なる原始的に近い生活を営んでいるので、いつしか筋の違ったものの様に思われて来る....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
いておかれた。 護法社。本殿の後に在り、毎年七月七日護法の祈を行ふ。其法は性素なる者を択び、斎戒潔浄せしむ。俗に之を護法実と謂ふ。七日に至り東堂の庭に居らし....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
血も多く交り、同じ日本民族と申しましても、比較的蝦夷の影響を被ることの多かった質な田舎人でありました。すなわちこの東人は、要するに佐伯部の延長と申してよろしい....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
る。そのまま在らせる外、為方がない。 随分今まで行き著く程考えたのです。 ただ淳な下民にはそれが分かっていて、 縦え人がなんと云っても、自分の考を改めない。 ....
宝石商」より 著者:小川未明
い宝石を持って売りにゆけば、たいそう金がもうかったのでありました。 けれど、質な北の方の国の人々は、そのことを知りませんでした。また、遠い南の国へゆくにして....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
らを招聘し、警固の任に当らせたものであった。奥羽の如くその地が僻陬であり、住民素にして、村方警固の必要も少く、各自相|扶けて葬儀その他の業をも執り行ったような....