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橋本
「橋本〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
橋本の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
脇腹まで筋違《すじかい》に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、
橋本|阿波守《あわのかみ》は勿論、大目付|河野豊前守《こうのぶぜんのかみ》も立ち....
「火事とポチ」より 著者:有島武郎
たその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて
橋本《はしもと》さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ねると、こいつは近ごろ来た人間で、島田のことはよく知らねえと云うのです。それから
橋本という奴のところへ行くと、これは大抵のことを知っていました。
橋本の話によると....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
柄、戦力をそぐこと甚しい。 ◯吉田晴児の工場も焼けたらしい。協電舎もそうらしい。
橋本さんの広辺電気もそれ。枚挙にいとまあらずである。 ◯去る四月二十五日の新聞に....
「獏鸚」より 著者:海野十三
が出ていた。被害者の身許を調べてみると、もと『暁団』という暴力団にいた錨健次こと
橋本健次(二八)だということが判明した。暁団といえば、古い伝統を引いた江戸|生え....
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
何時も取ったことがなく落胆したものだった。 物売りの部へ入れるのは妙だが、神田
橋本町の願人坊主にも、いろいろ面白いのがいた。決してただ銭を貰うという事はなく、....
「三人の師」より 著者:上村松園
うと思う。 京都画壇の大半は栖鳳門下からなりたっていると言っても過言ではない。
橋本関雪 土田麦僊 西山翠嶂 西村五雲 石崎光瑤 徳岡神泉 小野竹喬 金島桂華 ....
「高原の太陽」より 著者:岡本かの子
過ぎて、細い河岸の大木の柳の蔭の一軒の料理屋へ、青年は俥をつけさせた。 「ここは
橋本という昔から名代の料理屋です」 かの女は、峠のように折れ曲り、上ったり下っ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
にあらざる歴史を作って人名字書中の最大の名よりもヨリ以上に何人にも知られておる。
橋本蓉塘翁がかつてこの人物を咏題として作った七律二十四篇は、あたかも『八犬伝』の....
「絵だけ」より 著者:上村松園
ニ負けるもんかちゅう気どしてなア、ホホホ、どこへでも男のお方と行きました。これは
橋本はんの写生です。関雪さんですな。どこか田舎へ行ったときそこにいた駄馬に関雪さ....
「虹と感興」より 著者:上村松園
どなかったと思います。 中で、私の印象に強くのこっているのは、なんといっても、
橋本雅邦先生の水墨で出来た天井絵の龍です。とても凄じい筆勢のもので、非凡のもので....
「座右第一品」より 著者:上村松園
花鳥の側に二歳か三歳の松篁が這い廻っていましたり、仇英の楼閣山水の隣りに、馬上の
橋本関雪さんが居られたりします。 この関雪さんの姿は明治三十六年頃と思いますが....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
に勢力を有しておった。地方には今北洪川、西有穆山《にしありぼくざん》、由利滴水、
橋本峩山、新井日薩、七里恒順、などという人々がおった。それから居士として島田蕃根....
「茶の本」より 著者:岡倉由三郎
新しき道に想到したのであった。そしておのが手で守りたててきた東京美術学校を去って
橋本雅邦その他の同志と日本美術院を創立したのは明治三十一年(一八九八)の夏、兄の....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
を見ながら、金銭を武器にする修羅界の空気を憂欝に感じるばかりだった。 僕等は「
橋本」の前で円タクを下り、水のどす黒い掘割伝いに亀戸の天神様に行って見ることにし....