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「檄文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

檄文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
島原の乱」より 著者:菊池寛
成らばよし、成らずば一族天に昇るまでの事だ」聞く者皆唯々として従ったので、挙兵の檄文は忽ちに加津佐、串山、小浜、千々岩を始め、北は有江、堂崎、布津、深江、中木場....
逝けるマクシム・ゴーリキイ」より 著者:宮本百合子
おそれる側からの迫害がはじまった。一九〇一年の四月に、ゴーリキイは労働者のために檄文を書いた廉で罪に問われ、起訴された。この時ゴーリキイはニジェゴロドスカヤ県の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
大分長い。竜之助は読み下してみると、それは御親征について忠勇の士を募集するという檄文《げきぶん》で、誰が出したともわからないが、ただ「天忠組」とのみ署名してあり....
マクシム・ゴーリキイについて」より 著者:宮本百合子
シアの労働者の解放のために、作家としてゴーリキイは黙っていられずこの年の春一つの檄文をかきました。ロシアの政府は其をとがめて、田舎の一つの町に室内監禁しました。....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
えて、道庵を名古屋城下から逐《お》い、これを城外に斬ってとらなければならないとの檄文《げきぶん》でした。 これを見たものですから道庵先生が、急にあわて出して、....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
沙汰もなかった。日蓮はここにおいて決するところあり、自ら進んで、積極的に十一通の檄文を書いて、幕府の要路及び代表的宗教家に送って、正々堂々と、公庁が対決的討論を....
妾の半生涯」より 著者:福田英子
の壮士を択《えら》び、先ず朝鮮に至り事を挙げしむるに如《し》かずと、ここにおいて檄文《げきぶん》を造り、これを飛ばして、国人中に同志を得、共に合力《ごうりょく》....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
われた成城学校の生徒の一隊が済生学舎を襲うということがあって、うちの書生などにも檄文のようなものが廻って来たことがあった。すると、うちの書生が二人ばかり棍棒か何....
三国志」より 著者:吉川英治
きるかと思います」 「なるほど」 「ですから、恐れいるが、関羽どのの筆で、ひとつ檄文を起草して下さい。それを配るのは、私の知っている村の青年にやらせますから」 ....
三国志」より 著者:吉川英治
らいいか」 「檄を飛ばすことです」 「おまえ、書いてくれ」 「はい」 陳宮は、檄文を書いた。 彼は、心の底から国を憂えている真の志士である。その文は、読む者....
三国志」より 著者:吉川英治
らいてお迎え申しましょう」 曹操は、限りなく喜悦して、さらばとばかり、直ちに、檄文を認めて、城中へ矢文を射させた。 その文には、 今、明詔ヲ奉ジテ呂布ヲ征ス....
三国志」より 著者:吉川英治
ある。しかもこの対策に成功しなければ、絶対に統一の覇業は完成しないのである。 「檄文を作れ」 荀攸に命じて、檄を書かせた。もちろんそれは呉へ送るものである。 ....
三国志」より 著者:吉川英治
たか。――ああ、時節到来」と、狂喜した。 そこでまず二人は、関西の兵をうながす檄文を起草し、都下出発の朝、勢揃いと称して、曹操の閲兵を乞い、急に陣鉦を鳴らすを....
三国志」より 著者:吉川英治
いずれにしても余り良い家柄ではなかったらしい。 袁紹と戦ったとき、袁紹のために檄文を作った陳琳が、その文中に操をさして、 =姦奄の遺醜。 と、彼の痛いとこ....
予が出版事業」より 著者:柳田国男
説きまわって、甲寅叢書というものの計画を立てた。甲寅は即ち大正三年である。此時の檄文は私が突嗟の間に筆を執ったもので、今日では人に読まれても顔を赤めるほどの高調....