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次兵衛
「次兵衛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
次兵衛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
》も持っていて、小僧二人のほかに若い者三人、女中三人の暮らしである。家族は主人の
次兵衛が四十一歳、女房のお琴が三十七歳、娘のお袖が十八歳で、隠居夫婦は二十年前に....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
本渡の但馬、楠浦の弥兵衛以下二千人、上津浦の一郎兵衛、下津浦の治右衛門、島子の弥
次兵衛以下三千七百人、部将皆郷士豪農の類である。総大将四郎時貞は相津玄察、下津浦....
「八人みさきの話」より 著者:田中貢太郎
助が仁淀川の復讐をする時節が来た。内蔵助は日々元親の傍で彼を讒謗した。 桑名弥
次兵衛、宿毛甚右衛門の二人は、元親の命によって小高坂の邸へ遣わされた。それは天正....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
の末に、姪の家の板の間から墜ちて怪我をして、当時流行した接骨家|元大坂町の名倉弥
次兵衛に診察してもらうと、名倉がこういったそうである。お前さんは下戸で、戒行が堅....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
よいよ》其歳の冬十二になる女子を与えて岐阜で式を行い、其女子に乳人《めのと》加藤
次兵衛を添えて、十四と十二の夫婦を日野の城へと遣った。もはや人質では無く、京畿に....
「四谷怪談」より 著者:田中貢太郎
。伊右衛門は手先が器用で大工が出来るので、それを云い立てにして御先手組頭|三宅弥
次兵衛を経て跡目相続を望み出、その年の八月十四日に婚礼することになり、同心の株代....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
… 滝太郎が、その後十一の秋、母親が歿ると、双葉にして芟らざればなどと、差配佐
次兵衛、講釈に聞いて来たことをそのまま言出して、合長屋が協議の上、欠けた火鉢の灰....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
破壊といふ最後の崖しか見つめることがなくなつてゐる証拠であつた。 男の名は金鍔
次兵衛の通り名で日本全土に知られてゐたが、その本名は誰も知らない。大村の生れで、....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
の当時十九歳の若侍で、この一行に加わっていたのである。 その途中で年長の伊丹弥
次兵衛がこんなことを言い出した。 「組頭はただ、古河市五郎を連れ帰れというだけの....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
ほかには鉄之丞、弥五郎という二人の若党と、かの権次、権六という二人の奴と門番の与
次兵衛と、上下あわせて七人の男世帯で、鬼のような若党や奴どもが寄り集って三度の飯....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、今も昔も変りがない。実に私が切支丹史の人物中で最大の興味をもっていたのは「金鍔
次兵衛」という怪人物で、私が十年前の長崎旅行の後にまず第一に書いたのは彼の行蹟に....
「夢の如く出現した彼」より 著者:青柳喜兵衛
事ばよう知ッとるし、なかなか好い、博多のモンとありゃ、一体誰じゃろうかい」等と、
次兵衛達や、田舎芸術家達の間に、サンザン首をひねらしたものである。 それから半....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
台の上に見ることになったのであった。 この狂言では、団十郎が清正と太閤と船頭与
次兵衛の三役を勤めて、殆んど休みなしに登場していたのである。どの役々も嵌り役で、....
「山の人生」より 著者:柳田国男
子田と呼ぶ水田もあった。童子幼名を外道丸と名づけられ美童であった。父の名は否瀬善
次兵衛俊兼、戸隠山|九頭竜権現の申し児であって、母の胎内に十六箇月いたというだけ....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
用するまでに、普及していなかったからである。この際に大通りの本町二丁目に、滝山弥
次兵衛という金持があって、家を新築するのに町に面した屋根だけを瓦で葺き、棟から裏....