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次子
「次子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
次子の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討三態」より 著者:菊池寛
と思い直した。 とよ女の孝節が、藩主の上聞に達して、召し還された上、藩の家老の
次子を婿養子として、幸田の跡目を立てられて、旧知の倍の百石を下しおかれたのは、同じ宝暦五年の九月のことである。....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
ずっと辛辣である。厳島合戦の時、恰度五十二歳の分別盛りである。長子隆元三十二歳、
次子|吉川元春二十三歳、三子隆景二十二歳。吉川元春は、時人梅雪と称した。 熊谷....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ったのであった。 そこへ起こったのが家督問題で、森厳沈痛の晴信よりも颯爽軽快の
次子信繁の方が、信虎の性質に合うところから、それを家督に据えようとした。 驚い....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
の常右衛門が、私の父の父で、私の父は、三男として生れ、長子常太郎は、本家を継ぎ、
次子は亡くなったが、父の弟も健在である。 丁度、それが、維新の変乱の時で、この....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
――島井宗室は病歿した。享年七十七であった。 遺命を受けた九郎右衛門が、宗室の
次子を家督に据え、二代目宗室の命に依って、南洋の呂宋へ旅立ったのは、其翌年の三月....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
夫泰家は、まだどこかに生きているはずであるし、高時の子のうち、一人は殺されたが、
次子の亀寿丸(後の時行)は、炎の下から遺臣の背に負われて信濃方面へ落ちのびたきり....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
命じたものである。 事実、直義はもう鎌倉に入っていた。そして管領の基氏(尊氏の
次子、十歳)を追い出してそのあとに拠っていたのである。 しかし彼の軍は、由比、....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
三番目の弟。――門脇殿というのが通り名。職は中納言。長男|通盛は、鵯越えで戦死。
次子能登守|教経がある。年五十七。 〔知盛〕清盛の三男、宗盛の次弟。権中納言(あ....
「恋と十手と巾着切」より 著者:山中貞雄
」とあやす。 紙入れから小銭を取り出して子供に与えると子供は泣き止んだ。 三
次子供の頭を撫でて「いい子だから早くお帰り」と言い捨てて去って行く。 子供は其....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
先祖調べを行って、日蓮本姓三国氏だと云い、父は遠州刺史、すなわち遠江守貫名重実の
次子重忠までは前者と同一だが、さらにその先は聖武天皇の裔で、母は清原氏だと余程古....