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欽
「欽〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
欽の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
かじめお含み置きください」 白猿伝 梁(六朝)の大同の末年、平南将軍|藺
欽をつかわして南方を征討せしめた。その軍は桂林に至って、李師古と陳徹を撃破した。....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
た。自分の嫂が奸夫と共謀して、兄の劉|成を殺したというのである。県の尹を勤める丁
欽がそれを吟味すると、前後の事情から判断して、劉の訴えは本当であるらしい。しかも....
「註文帳」より 著者:泉鏡花
うとして、雪にがっくり、腕車が支えたのでやっと目が覚めたんだ。」 この日|脇屋
欽之助が独逸行を送る宴会があった。 「実は今日友達と大勢で伊予紋に会があったんで....
「妖怪学」より 著者:井上円了
葛亮の九十時に赤き彗星ありしは、その死去を告ぐるものとなせり」わが朝にありては、
欽明天皇のとき、仏を入れたるために疫病流行せり、敏達天皇のときも同断なり。蒙古|....
「妖怪学一斑」より 著者:井上円了
りといい、『晋陽秋』の書に、諸葛亮の卒時、赤き彗星ありという。わが朝においては、
欽明天皇のとき、仏教が渡来して疫病が流行し、くだって敏達天皇の朝に至って、また疫....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
「呉」の字を当てたのは、古くそれをクレと読む例であったからである。また日本紀に、
欽明天皇六年九月百済王が任那の日本府の臣、及び諸旱岐に呉の財を贈るとある場合のク....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
皇統の特異なる所以を知らしめ、懦夫をして為に起たしむべきものである。何人かこれを
欽慕せざるものがあろう。ただそのこれを賞讃せんとするの余りに、道鏡の皇胤たること....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
のがこれで、「間人」ここに「ハシビト」また「ハジウド」と訓ませてある。次に古事記
欽明天皇の条に、皇女間人穴太部王というお方があり、その「間人」を寛永板刊本には「....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ず天をも咎めず自若として往生せられたという尊者の大量に至っては、これ仏教者の共に
欽慕すべきところでございましょう。
明治三十一年の一月一日には例年のごと....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
画工は富峰の雪をその画に示し、日本人民をして朝に夕にその美景に接見し、その美操を
欽慕せしむ。ゆえに、余は日本人に一種卓絶の元気あるは、富峰の教育によるという。シ....
「古事記」より 著者:太安万侶
ホノホの王は志比陀の君の祖先、ヱハの王は韋那《いな》の君・多治比の君の祖先です。
欽明天皇 弟のアメクニオシハルキヒロニハの天皇(
欽明天皇)、大和の師木島《しき....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
いて非難攻撃をされました中に、苦行|外道(外道六師の中の一人、その名を阿耆多翅舎
欽婆羅という)というのがあります。わざと襤褸を着て、身体を火で炙いたりして、自分....
「「特殊部落研究号」発行の辞」より 著者:喜田貞吉
於いて羨望すべき生活を遂げ、また学識と地位とを有し、その品位に於いても高佳にして
欽慕すべきもの、また乏しからざる次第に候う。 なるほど統計上に表われたる彼らの....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
シヒトと訓ませてあるのであるが、奇態な事には、「古事記」に「間人穴太部王」とある
欽明天皇の皇子の御名を、「日本紀」には「※部」すなわち「ハセツカベ」が、すなわち....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
真に法師であったのかもしれない。しかしその後法師の語はしばらくわが古書にみえぬ。
欽明天皇十三年に仏法が伝わって後も、僧尼・律師・呪禁師・沙門等の称はあるが、法師....