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「欽明天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

欽明天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三四郎」より 著者:夏目漱石
古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇《すいこてんのう》の時のようでもある。欽明天皇《きんめいてんのう》の御代《みよ》でもさしつかえない気がする。応神天皇《....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
造顔師一人、御贄五十|舁、を献ず」 とあるのは、この間の消息を伝えたのである。欽明天皇御宇のことである。 その後出雲氏は蘇我氏に出入し多くの寵を蒙ったが、蘇....
十二支考」より 著者:南方熊楠
血を拭《ぬぐ》いやり放ったという(『書紀』一九)。この人は殷の伝説同様夢の告げで欽明天皇に抜擢せられ、その財政を司って大いに饒富《じょうふ》を致した賢人だが、そ....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
それが大国主にも当るし、神武天皇にも当るし、崇神天皇にも当るし、ひょッとすると、欽明天皇にも当るのではないでしょうか。天照大神に当る方もこの一族でしょうが、その....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
タンテイの次第を申上げます。 この件りのあたりを書紀がどのように書いているか、欽明天皇の終りごろから読んでごらんなさい。ヒステリイだかテンカンだか知らないが、....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ほかに百済と新羅があった。百済は高句麗同様、扶余族と称せられている。日本の仏教は欽明天皇の時、今から千四百年ほど前に百済の聖明王から伝えられたと云われているので....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
とや、数千人の朝鮮民族を日本へ帰化せしめ、土木その他の工事に従事せしめたことや、欽明天皇様の御宇に仏教を伝来させて、わが国の文化を頓に大飛躍させたことなどは著明....
妖怪学」より 著者:井上円了
葛亮の九十時に赤き彗星ありしは、その死去を告ぐるものとなせり」わが朝にありては、欽明天皇のとき、仏を入れたるために疫病流行せり、敏達天皇のときも同断なり。蒙古|....
妖怪学一斑」より 著者:井上円了
りといい、『晋陽秋』の書に、諸葛亮の卒時、赤き彗星ありという。わが朝においては、欽明天皇のとき、仏教が渡来して疫病が流行し、くだって敏達天皇の朝に至って、また疫....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
「呉」の字を当てたのは、古くそれをクレと読む例であったからである。また日本紀に、欽明天皇六年九月百済王が任那の日本府の臣、及び諸旱岐に呉の財を贈るとある場合のク....
間人考」より 著者:喜田貞吉
のがこれで、「間人」ここに「ハシビト」また「ハジウド」と訓ませてある。次に古事記欽明天皇の条に、皇女間人穴太部王というお方があり、その「間人」を寛永板刊本には「....
古事記」より 著者:太安万侶
ホノホの王は志比陀の君の祖先、ヱハの王は韋那《いな》の君・多治比の君の祖先です。欽明天皇 弟のアメクニオシハルキヒロニハの天皇(欽明天皇)、大和の師木島《しき....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
シヒトと訓ませてあるのであるが、奇態な事には、「古事記」に「間人穴太部王」とある欽明天皇の皇子の御名を、「日本紀」には「※部」すなわち「ハセツカベ」が、すなわち....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
真に法師であったのかもしれない。しかしその後法師の語はしばらくわが古書にみえぬ。欽明天皇十三年に仏法が伝わって後も、僧尼・律師・呪禁師・沙門等の称はあるが、法師....