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歌の道
「歌の道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
歌の道の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
の声をあげた。 あらためて註するまでもないが、源の俊顕《としあきら》の歿後は和
歌の道もだんだん衰えてきたのを、再び昔の盛りにかえそうと努めたのは、この忠通卿で....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
出ている松尾|多勢子(平田|鉄胤門人)のような近い親戚の人があって、この婦人は和
歌の道をもって宮中に近づき、女官たちにも近づきがあったから、その辺から出た消息か....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
人の次女で、名を増といいました。こうした家柄に育てられた増は相当の教育を受け、和
歌の道、書道のことなどにも暗からぬほどに仕附けられておりましたので、まず父の兼松....
「鵺」より 著者:楠山正雄
の孫に当たりました。元々武芸の家柄である上に、生まれ付き弓矢の名人で、その上|和
歌の道にも心得があって、礼儀作法のいやしくない、いわば文武の達人という評判の高い....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
先導の女パンタリス(合唱の群を率ゐて。)
皆さん、歓楽で取り巻かれた唱
歌の道を離れて、
あの御門の扉を振り向いて御覧なさい。
どうなすったのでしょう。....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
を著したが、その中にも、「すべて家々の諸説、人々の覚悟、更にこ細をしらずと雖も、
歌の道におきては、定家卿の説をはなれては、すこぶる傍若無人なり」といっている。 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
覚一は以前の琵琶の師の許へ。また尼は、姉の清子が師事した冷泉為定の許へ通って、和
歌の道にいそしんだり、ここ幾年は、思わず過ごしていたのだった。 「では、壬生のお....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
世捨て人にならぬかぎりは」 「おゆるしを給わるなら、ふたたび山へ戻って、静かに、
歌の道でも励んでいとうございまする」 「叡山へ帰りたいのか」 「はい」 「やはり....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
がありません。もう、こんりんざい、弓矢は手にせず、一|沙門の生涯を、みほとけと和
歌の道にと、そうお願いして、父の皇からもみゆるしを給わっていたのですが、こうなり....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
れも相似た苦悶があった。 末期の世相と、未来の修羅道におののいて、若き西行は、
歌の道と山林に隠れ、文覚は人妻の袈裟に恋して、その青春を自己の情熱に自爆させる。....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
るのか」 と、よくいわれた。 わけて国学についての話題がよく出た。細川殿は和
歌の道に造詣が深かった。美術、文学、天文、兵学、そして時事を談じ、一転して、食味....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
兵衛の祖父明石正風と、近衛家の当主との風交は、近年こそ途絶えているが、その縁故は
歌の道のほうからいっても浅くない関係にある。新七は従来、近衛家の仕事も折々うけて....