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歌合
「歌合〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
歌合の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
閑《のどか》な景色《けしき》が、春風《しゅんぷう》のように吹きこんで参りました。
歌合《うたあわ》せ、花合せ、あるいは艶書合《えんしょあわ》せなどが、以前にも増し....
「猿飛佐助」より 著者:織田作之助
調法な忍術を授けられ、やがてこの術を以って真田幸村に仕えて間もなく、上田の城内の
歌合せの会に出席して、はからずもその席上かつての小町娘今は奥方の侍女楓を見出した....
「春」より 著者:豊島与志雄
てはしゃぎ出す。だが、畜生、貴様の知ったことか、とそんな気持で、彼は女学生の讃美
歌合唱を頭の中に描きながら、ばかばかしく声を張り上げる。 そういう騒ぎが、或る....
「俊寛」より 著者:倉田百三
らない。桜の花のなかに車をきしらせた春を思えば。つんだ花を一ぱい車の中にまいて、
歌合わせをして遊んだ昔の女たちを思えば。わしはむしろ死を願う。彼の女らは皆わしに....
「「草紙洗」を描いて」より 著者:上村松園
それを描いてみたのでした。 小町の“草紙洗”というのは、ご存じのとおり、宮中の
歌合せに、大伴黒主が、とうてい小町には敵わないと思ったものですから、腹黒の黒主が....
「謡曲と画題」より 著者:上村松園
の草紙洗小町の構図がすらすらと出来上ったのでした。 むかしむかし内裏の御殿で御
歌合せの御会があったとき大伴黒主の相手に小野小町が選ばれました。 黒主は相手の....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
人いふめれど、たゝにやはとて、長嘯子《ちょうしょうし》のえらび玉《たま》へる諸虫
歌合せの跡を追《おっ》て、恋のこゝろのざれ歌をのばへ侍《はべ》るに、兎角《とかく....
「巷の声」より 著者:永井荷風
手風琴を引きならして薬を売り歩くものがあった。浅井忠の板下を描いた当世風俗五十番
歌合というものに、「風ひきめまいの大奇薬、オッチニイ」とその売声《うりごえ》が註....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
学雑誌明治四十四年九月、十一月、同四十五年二月)が初めであるらしい。同君は職人尽
歌合にあるイタカとこのサンカとを併せ叙して、彼らと売笑婦との関係に及び、一種の娼....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
る和歌の用途をひろくもしたし重くもした。平安朝のはじめ、後宮のもてあそびであった
歌合が、清涼殿の催しにまで昇格し、勅撰の歌集が編まれ、ことに漢字が男子の公に仕え....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
ら」と呼ばれた農民までが、一様に賤者として見下されていたのである。「三十二番職人
歌合」には、 庭掃 材木売 竹売 結桶師 火鉢売 糖粽売 地黄煎売 箕作 樒売....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
って、為にその名が共通になっていたのかもしれぬ。これも室町時代の「七十一番職人尽
歌合」に、「穢多」という題で、 人ながら、如是畜生ぞ馬牛の 河原の者の月....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
方法が普通でなかったが為に、文字にはエタと書いたのであったのかもしれぬ。「職人尽
歌合」にエタと詠み込んであるのも、束縛ある歌詞の事としては、確かな証拠にも引かれ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のうちには、室町時代に至るまでも、相変らず法師姿でいたものが多い。「七十一番職人
歌合せ」の絵を見ると、筆結・弦売・轆轤師・饅頭売・賽磨・甲細工・草履作・足駄作・....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
洗えば多くは同一系統に出たものであることが知られるのである。試みに「七十一番職人
歌合」の絵のみを繰り返して見ても、法師姿をしたものに、左の如き多数の雑職人・雑芸....