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「歌舞伎座〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

歌舞伎座の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 私はかつて「虚無僧《こむそう》」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で上演されたことがある。その虚無僧の宗規や生活については、わたし自身も多....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
の一部ないし大部の焼失をみたほか、 帝国ホテル、元情報局、海上ビル、郵船ビル、歌舞伎座、新橋演舞場なども一部ないし大部を焼失した。 なお同期間内の大都市空爆....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
解されるようになって来た。わたしは松葉君よりも足かけ四年おくれて、明治三十五年の歌舞伎座一月興行に「金鯱噂高浪」という四幕物を上場することになった。これに就いて....
縷紅新草」より 著者:泉鏡花
だよ。途中、四谷新宿へ突抜けの麹町の大通りから三宅坂、日比谷、……銀座へ出る……歌舞伎座の前を真直に、目的の明石町までと饒舌ってもいい加減の間、町|充満、屋根一....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
伎の仕出しに使つたことがあつた。伊藤や淵君ももちろん使われた仲間であるが、ある時歌舞伎座で「川中島合戦」をやつたとき雑兵に使われたことがあつた。 そのときの伊....
怪談劇」より 著者:岡本綺堂
行かない。その小手調べとして、去年の夏は本郷座に「牡丹燈記」を上演し、今年の春は歌舞伎座に「雷火」を上演してみたが、どちらも舞台の上ではやはり成功しなかった。 ....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
ばしば好評を博していたものと察しられるが、それがわからない。明治三十三年の正月、歌舞伎座の大切浄瑠璃「闇梅百物語」で五代目菊五郎が小坂部をつとめた時にも、家の芸....
三枚続」より 著者:泉鏡花
三階|建の青楼の女郎が襟のかかった双子の半纏か何かで店を張ろうという処ですもの。歌舞伎座のすっぽんから糶上りそうな美しいんだから、驚きましたの何のって、ワッとも....
二階から」より 著者:岡本綺堂
ない。今日まで一度も交際したことはなかった。が、私の方ではこの人を記憶している。歌舞伎座の舞台開きの当時、私は父と一所に団十郎の部屋へ遊びにゆくと、丁度わたしと....
当今の劇壇をこのままに」より 著者:岡本綺堂
脚本作家から見れば幼稚でもあり、進まないであろうが随分と進んでは来ている、昨年、歌舞伎座と市村座で骨寄せの岩藤を演じたが、先代菊五郎の演った一昔の前には見物は喜....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
それを怪まないほどに、彼の技倆も名声も高まっていたのである。 その年の十一月、歌舞伎座で『河内山』を上演した。これも再演で、団十郎の河内山、菊五郎の直次郎、左....
久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
知っている限りでは、米斎君がはじめて舞台装置をなすったのは、明治三十七年の四月に歌舞伎座で、森鴎外博士の『日蓮上人辻説法』というものを上演しました。その時分に御....
白峰の麓」より 著者:大下藤次郎
。沢のほとり、林のあたりで、何やら冴えた声で鳥が啼く。うっとりとよい心持になる。歌舞伎座も八百膳も用はない。このまま一生ここにいても悪くはないと思う。が、そうも....
和製椿姫」より 著者:大倉燁子
した。 数年後、和製椿姫の名で有名になっている彼女を彼はかいまみました。一度は歌舞伎座の入口で、それはプリンセスのような素晴らしさでした。もう一度は菅原好美の....
鷺娘」より 著者:大倉燁子
にはいくら努力しても百合子は足許にも追いつかなかった。 ところが今から五年前、歌舞伎座で舞踊大会のあった時、まゆみは見物に来ていた光村博士に見染められ、懇望さ....