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歌舞伎芝居
「歌舞伎芝居〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
歌舞伎芝居の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「映画芸術」より 著者:寺田寅彦
はできるはずがないのである。 剣劇の股旅ものや、幕末ものでも、全部がまだ在来の
歌舞伎芝居の因習の繩にしばられたままである。われらの祖父母のありし日の世界をその....
「第四次元の男」より 著者:海野十三
あとは紙類がごそごそ匐っている程度である。実に一向開けない原っぱであるが、これが
歌舞伎芝居なら、大ざつまを入れて、柝の音とともに浅黄幕を切っておとし、本釣りの鐘....
「人形の話」より 著者:折口信夫
おき、この章では話を変えて、人形の話を簡単にしておきたいと思う。前に人形の舞台と
歌舞伎芝居の舞台との関係について、ごくおおざっぱな話をしておいたが、今日はそれか....
「長篇小説私見」より 著者:豊島与志雄
尋常の意味で吾々に生々と感ぜらるる所以は、右のような人物によることが多い。日本の
歌舞伎芝居への関心から吾々が容易に脱せられないのは、その中に親しい人物を数多く吾....
「風俗時評」より 著者:豊島与志雄
芸には、酒の座席にふさわしい情緒、或は生活逃避的な気分が、伝統的にあった。昔は、
歌舞伎芝居も飲食しながら見物されたものであるし、講釈も昼席で枕をかりて寝転びなが....
「女性の諸問題」より 著者:倉田百三
色濃い感覚と肉体と情緒とがなくてはならぬ。それは日本の娘の特色である。この点あの
歌舞伎芝居に出る娘の伝統を失ってはならぬ。シックな、活動的な洋装の下にも決してこ....
「俳優倫理」より 著者:岸田国士
った。そこには神社との密接な関係があったのでありますが、次第に徳川時代になって、
歌舞伎芝居というものが全くそういう宗教とは縁のないものになってきた。そういう時代....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
鳥を菊五郎がすれば、瞿麦は団十郎が勤めるというようなものである。悪人の女を含まぬ
歌舞伎芝居も、ずっと昔からある悪女を改めて善人にして出すということは出来ないこと....
「京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
|○| わたくしが、あの興行を、河原崎座へ見物に参りましたのは、もとより、
歌舞伎芝居が好きであり、 瀬川菊之丞 芳澤いろは 嵐雛助 瀬川吉次 名見崎東三郎....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
私は細君に約束した以上一度で止めてしまうわけに行かなくって更に明治座かどこかの
歌舞伎芝居に一度と、能に二、三度引っ張り出した。
歌舞伎芝居の方は油屋お紺かなんか....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
他の大劇場であったならば、さのみの議論にならなかったかも知れないが、なにぶんにも
歌舞伎芝居の本城という歌舞伎座であるだけに、その本城をかれらに明け渡すということ....
「とと屋禅譚」より 著者:岡本かの子
を受けた彼の妻の梅子は、当時に於てはモダンにも超モダンの令嬢である筈だ。ところが
歌舞伎芝居が好きで、わけて田之助びいきの処から、其の楽屋に出入りしているうち同じ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
づいて弾左衛門はその支配権を主張し、しばしば種々の問題を惹起した。宝永年間房州で
歌舞伎芝居興行の節、弾左衛門手下のものが、舞台に乱入して役者を脅迫した。弾左衛門....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
せぬが、元禄宝永年間この瓦堂の地に、付近の京終・綿町などとともに、登大路北側から
歌舞伎芝居相撲小屋等を移されたとあってみれば、これもその地が本来不浄とみなされた....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
食ともいいましたが、それは河原者がキヨメの労役ばかりでなく、一方に人形も使えば、
歌舞伎芝居もするという風に、遊芸の方面にも流れて行ったためなのです。 つまり河....