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歌道
「歌道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
歌道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
学友であり、橘曙覧の師に当たる。その青年時代には尾張熱田の社司|粟田知周について
歌道を修め、京都に上って冷泉殿の歌会に列したこともあり、その後しばらく伴蒿蹊に師....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
簡素な手記の中には、その時に翁の胸を打った或るものが籠められていたことがわかる。
歌道を嗜み礼儀に篤い翁が、一切をつくした名文ではなかったろうかと思われる。 こ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ら呼子鳥《よぶこどり》というたらしい。 昔は公家衆《くげしゅう》など生活難から
歌道の秘事という事を唱え、伝授に托して金を捲き上げた。呼子鳥は秘事中の大秘事で一....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
となって迸り、同門の田中という女に、同じけがれとしても万人のすてた此人にせめては
歌道にすすむはげましだけはと気負って表現されたりしているのだと思える。 頭の中....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
ましょうか――時代が時代ゆえ、教育はもう至って簡単なもので、学問は読書、習字、又
歌道一と通り、すべて家庭で修めました。武芸は主に薙刀の稽古、母がよく薙刀を使いま....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
でもなく、また読んだでもなく、勅命によって一見を仰せつけられたものは数々あった。
歌道は飛鳥井家の門人であって出藍《しゅつらん》の誉《ほまれ》高かったから、歌集の....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
炉の前で、複雑な手前をする。 継母もさる支藩邸の奥向きを勤めて、手もよく書けば
歌道も一通り心得ている。継母はこの女を嫌っていた。その心理はよくわかる。父親は父....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
出しなされし由、御当家におかせられては、代々武道の御心掛深くおわしまし、かたがた
歌道茶事までも堪能に渡らせらるるが、天下に比類なき所ならずや、茶儀は無用の虚礼な....
「税所敦子孝養図」より 著者:上村松園
孝の道においても、人の亀鑑となるべき人であったからである。 はじめ、女史はその
歌道を千種有功卿に学んだが、二十歳の年に縁あって薩摩の藩士、税所篤之氏に嫁いだの....
「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
出しなされし由、御当家におかせられては、代々武道の御心掛深くおわしまし、かたがた
歌道茶事までも堪能に渡らせらるるが、天下に比類なき所ならずや、茶儀は無用の虚礼な....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
方 十七 東常縁、老年の定家を立てて『新古今集』を排斥する、宗祇、古今伝授 十八
歌道はまさに消えようとしていた、結語 草木のさやぎにも神の声が聞かれた遠い古の....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
いわゆる語路の悪い言葉は、忌んで採用しなかったらしいのである。これが深見草一流の
歌道のかぶれでなかったことは、和歌には向かぬが民間のうたいものや童言葉に、ぴたり....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
る誹諧が飛出して来た。水無瀬の離宮の風流の御遊びがいと盛んであった際には、古来の
歌道の柿の本に対立して、新たに栗の本というたわれ歌の一団が生まれた。その一方を有....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
ている。しかも彼らの歌がただに素朴な農民の歌謡だぐらいのものでなかろう。立派に短
歌道の上からも教養があり鍛練も経ている。人数からいっても歌人としての価値から見て....
「予が出版事業」より 著者:柳田国男
る。 明治三十七年の戦役なかばに、田山花袋君と協力して此本を出した。是は我々の
歌道の師松浦萩坪先生の歌の集で、還暦の記念として門下一同に買わせたものである。部....