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正則
「正則〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
正則の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「少女病」より 著者:田山花袋
がてお茶の水に着く。 この男の勤めている雑誌社は、神田の錦町で、青年社という、
正則英語学校のすぐ次の通りで、街道に面したガラス戸の前には、新刊の書籍の看板が五....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
盛重等は忽ちにして矢玉の真ただ中にさらされて、その士卒と共に倒れた。元康の士|筧
正則等が之に乗じて進み、門を閉ざす暇を与えずに渡り合い、松平義忠の士、左右田正綱....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
ら軍律に反した始末なのである。 この職充は平常士を好んで、嘗つて加藤清正、福島
正則等、国を除かれ家を断たれた時、その浪士数十人を引取った程である。この時の戦い....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
将として知られて居る程の人物だから、四万四千の寄手も相当に苦戦である。流石の福島
正則みたいな向う見ずの大将も、一時、退却したくらいだ。実際に氏規の韮山城の好防は....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
となって、この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ。そこへ行くと福島
正則の方が、率直で、透明で……短気ではあるが可愛ゆいところがあって、おれは好きだ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
―程度で尽きるだろう。同時に人物を論ずれば、家康、如水、氏郷、政宗、三成、清正、
正則、それに毛利と、島津あたりのところで種切れになるだろう。そのほかはあってもよ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ていないのだから」 川中島の上月というのは、代々百姓をしているが、先祖は、福島
正則《ふくしままさのり》が川中島へ配流《はいる》された時の一族だということで、今....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
城により、後、秀次の城邑《じょうゆう》となり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島
正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
のように思う。この四月あるいは九月に、何処かの中学の三年か四年に入れたい。神田の
正則予備校を始めその用意をする学校はいくらもある。また、各中学では、毎学期に盛ん....
「香奠」より 著者:豊島与志雄
人で下宿へ移らなければならないことを、別に悲観した風もなく、四五日後には、神田の
正則英語学校の受験科にはいって、英語の勉強を初めました。 「東京の学校は不親切で....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
、他人よりの窃盗である。露骨にこう言うべきだ、自分および家族の生活、自分の知力の
正則な発達、それらに必要である以上のものを所有してる者はすべて、一の盗人であると....
「血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
らもずば抜けた知恵者で、一面権謀術数に富み、一面仁慈寛大であった。加藤清正や福島
正則や、片桐且元というような人さえ、幸蔵主には恩顧を蒙り、一目も二目も置いていた....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
ども、汁が甘くて駄目になった。その頃はあんなに甘くなかった。 私と同様出京して
正則英語学校に通っていた従弟が、ある日日本橋を歩いていて握鮓の屋台に入り、三つば....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
広服というものを作ったのである。 僕は英語は相当達者だった。学校時代から神田の
正則英語学校に通っていたので、英語については自信があった。
正則に通うと言っても当....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
ヵ寺あった。そのうち、七代有章院の別当瑞蓮寺というのが一番大きく、昔はいまの芝の
正則中学校のあるあたりに二千坪の寺境を持ち、伽藍は百間の廊下を持つ建築物であった....