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正安
「正安〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
正安の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「新日本の進路」より 著者:石原莞爾
つつある。 私は日蓮聖人の信者であるが、日蓮聖人が人類救濟のために説かれた「立
正安國」の教えは、「主義によつて」「理想のために」行われる政治の最高の理想を示す....
「死生」より 著者:幸徳秋水
胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松
正安も死刑となった、刑死の人には実に盗賊あり殺人あり放火あり乱臣賊子あると同時に....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
続けて疫病があったので、日本全国の同胞は大半死につくしたように思われた。日蓮の立
正安国論はこの際に出たものである。 永仁元年四月の地震も、正嘉の地震に劣らない....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も富松
正安も、死刑となった。刑死の人には、実に盗賊あり、殺人あり、放火あり、乱臣・賊子....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
せたぞ―― 昔、北面の武士に兵部重清《ひょうぶしげきよ》というがあって、それが
正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉《ぐぶ》の官女の中に、ええ、....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
の位の槙の大木は関東では珍しいものに属する。 それからまた人皇九十三代後伏見帝
正安二年造と称する国宝の梵鐘がある、それからまた本堂の一間に宋版の大蔵経がある、....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
あった。それ故に国家を安んぜんと欲せば正法を樹立しなければならぬ。これが彼の『立
正安国論』の依拠である。 国内に天変地災のしきりに起こるのは、正法乱れて、王法....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
ずか三年の御在位で、大覚寺の後二条天皇の御代となり、後宇多の院政となった。すると
正安三年十一月二十三日に撰集の院宣が為世一人に下され、二年あまりして嘉元元年十二....
「雨夜続志」より 著者:田中貢太郎
館生であった。 旧友は伊沢道之、加波山の暴動の時には宇都宮にいたがために、富松
正安等と事を共にするの厄を免かれることができたが、群馬の暴動は免かれることができ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
。 夕まぢか。正成はまた、客と会っていた。 同族の南江正忠、松尾|季綱、橋本
正安など、いずれも、近村に住む縁者どもで、 「こちらには、御異状もございませぬか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
「では、この先も」 「それを、みなに問いたい」 正成は、見まわした。 佐備
正安、天見ノ五郎、中院ノ俊秀、矢尾常正など、らんらんな眼をして、凄んでいる血気も....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
菊水の旗が見えた所に敵はいなかったのである。正成の弟正季、一族の神宮寺正師、佐備
正安らの河内きッての精鋭は、 「今ぞ」 という正季の一令をべつな所で受けていた....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
お供をねがいまする! ご陣中へお連れねがいまする!」 「や、おまえらは」 「佐備
正安です」 それについて、口々に。 「矢尾常正にござります」 「鷺平九郎の弟、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
拾ってまたがっていた。彼のほか、 和田|正遠、正高兄弟 神宮寺ノ正師 佐備
正安 安房四郎左衛門 安間了現――なども駒をひろって先駆し出した。 また、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
する」 「留守か。では爺、そちが下赤坂の城へひきつれて行け。そして物具奉行の佐備
正安へ渡すがよい。さきにも諸職の工匠が入っていること。
正安が心得おろう」 「かし....