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此に
「此に〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
此にの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「瘠我慢の説」より 著者:榎本武揚
云々との御意致拝承候。昨今|別而多忙に付いずれ其中愚見可申述候。先は不取敢回音如
此に候也。 二月五日武揚 福沢諭吉様....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
何の仔細もない。しかし世間の口はうるさいもので、それらの事情を知っているものはお
此には一種の祟《たた》りがあると云い、事情を知らないものはお此が轆轤首《ろくろく....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
此は年上の女で入墨者だ。あんな者に可愛がられていると、碌なことはねえぞ。お糸はお
此に誘い出されて、売り飛ばされたか、殺されたか。はっきり云え」 伊之助は身をす....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
一人で、昔物語に聞く山姥と金太郎とを其のままに、山※や猿や鹿や蝙蝠を友としつつ、
此に二十余年を送り来った重太郎自身に取っては、人間の身分や階級などは、何の値も無....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
奉存候。別紙御銘々様へは、乍憚御三君より御礼|可然御風語被成下度、此段貴答迄|如
此に御座候。頓首謹言。 守田勘弥 この文面は誰の筆になったのか知らないが、外国....
「両国の秋」より 著者:岡本綺堂
おまえさん、列び茶屋へも行くんだね」と、お花は菓子を食ったあとの指をなめながらお
此に訊いた。 「はい。まいります」 「不二屋へも行くだろう」 「はい」 お花は....
「絶望より生ずる文芸」より 著者:小川未明
本能の満足を遂げつゝある間に、人間は自己の滅亡という事を予想せずには居られない。
此に於てか痛切に吾々の脳裡に『何処より何処へ行くか』という考えも起るのである。又....
「詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
感を及して来る訣なのである。古語が詩の文体の基礎として勢力を持った事が長く、詩は
此による外はないとまで思われていた時期があまり続いたのである。古語表現を否定しよ....
「反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
でもなく、家庭小説でもなく、少し種類の異った小説になっている。島崎藤村などは晩年
此に似た問題に触れてはいるが、それ程深くは這入って行かなかった。平安朝は、そうし....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
さん、即、錦花氏夫人は今の源之助の継母かに当る人であるから、よい書物の筈である。
此には「演芸画報」に載った源之助晩年の芸談なる「青岳夜話」を其儘載せてある。これ....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
村実照師に示されて、はじめて知ったのだが、反省の機会が与えられて、感謝している。
此には、山越し像と、来迎図との関聯、来迎図と御迎講又は来迎講と称すべきものとの脈....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
地に予め一大穴を鑿ち、火葬の後に其骨を墓に収めずして、之を粉砕し、親疎を択ばず皆
此に蔵するを謂ふか」と解している。なるほど貞丈の説は妥当ではない。既に令の古記の....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
昔より久受と呼来たれども、此記の例、若し久受ならんには「国」の字は書くまじきを、
此にも軽島宮の段にも、又他の古書にも、皆「国」の字を作るを思ふに、上代には「久爾....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
作村(信濃下高井郡)より山に入ること九里。平家の落人勝秀と云ふもの、上州草津より
此に分け入りて匿れ住み、子孫一村を成せりとか。又信州より分入りければ、地勢は越後....
「春水と三馬」より 著者:桑木厳翼
えない。 此の如く此イソップ翻案は歴史的興味を喚起するに足るものであるが、ただ
此に聊か奇異の点というべきことは其が「天保十五年辰の新板」となって居ることである....