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此は
「此は〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
此はの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「両国の秋」より 著者:岡本綺堂
ろ情人《いいひと》が出来たってね」 「さあ、そんなことは存じませんが……」と、お
此は笑っていた。 「向柳原のほうのお屋敷さんだっていうじゃあないか」と、お花も笑....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一件はどうぞわっしに任せておくんなせえ。わっしがきっと埒をあけて見せます」 「お
此は鮫洲の茶屋にいるのか」と、半七は少し考えていた。「その茶屋は坂井屋というのじ....
「幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
台がある、最一つ次の室が有ろうかと探って見ると、成るほど一つの戸口は有るけれど、
此は固く締って居る、此の上に探ったとて同じ事よ、先ず寝台の有るのを幸いに、矢張り....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しらは》の生娘《きむすめ》であった。それがために兎角よくない噂が生み出されて、お
此は弁天娘というあだ名で呼ばれていた。しかもそれが普通に用いられる善い意味ではな....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
「例といふ文字をば、向後、時といふ文字にかえて御心得あるべし」と、直言している。
此は相当皮肉な、同時に痛快な言葉でもあって、彼が転変極まりなき時代を明確に、且つ....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
と反対し、箱根の天嶮に恃み、小田原及関東の諸城を固めて持久戦をする事を主張した。
此は元来北条氏の伝統的作戦であって、遂に軍議は籠城説に決定した。 そこで直ちに....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
香新たに、酒内情多くして人を酔はしめ易し。上国|豈に千日の醸なからむや、独り憐む
此は是れ故郷の春。」というのがあるのに邂逅して、古人|已に早く我が情を賦せりの感....
「死者の書」より 著者:折口信夫
のだ。――ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。
此は、おれの墓だ。 いけない。そこを開けては。塚の通い路の、扉をこじるのはおよし....
「鬼を追い払う夜」より 著者:折口信夫
「福は内、鬼は外」と言うことを知って居ますか。
此は節分の夜、豆を撒いて唱える語なのです。此日、村や町々の家々へ、鬼が入り込もう....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
つい立てたるが如し。此外を回りて四つの河あり。北より南へ富士河、西より東へ早河、
此は後也。前に西より東へ波木井河の中に一つの滝あり、身延河と名づけたり。中天竺の....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
ずれにしても、ひとり娘を失った七兵衛夫婦の悲しみは、ここに説明するまでもない。お
此はその後三月ほどもぶらぶら病で床についたほどであった。七兵衛も費用を惜しまずに....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
う。 私の今一つ思案にあぐねて居るのは、歌人の間における学問ばやりの傾向である。
此は一見|頗結構な事に似て、実は困った話なのである。文学の絶えざる源泉は古典であ....
「反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
滅せられ出した宇多・醍醐の帝の時代を書こうと言う、漠とした予期があったのである。
此は、紫式部の時代より数代前の事になる。こうした歴史に沿った物語を書く場合には、....
「役者の一生」より 著者:折口信夫
りゅうとした印象のない名になっていた。源之助は沢村宗家の印を伝えていたというが、
此は後、宗十郎に譲った。源之助は沢村の流れでは重い名であるが、この妲妃のお百をし....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
て描いているような気がして、むやみに僧房式な近代感を受けて為方がなかった。其に、
此はよいことともわるいこととも、私などには断言は出来ぬが、仏像を越して表現せられ....