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「此処〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

此処の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
たはこの麻利耶観音の台座の銘《めい》をお読みにならなかったでしょう。御覧なさい。此処に刻んである横文字を。――DESINE FATA DEUM LECTI SP....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云う必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校....
国貞えがく」より 著者:泉鏡花
さんと言うが早解《はやわか》り。織次の亡き親父と同じ夥間《なかま》の職人である。此処《ここ》からはもう近い。この柳の通筋《とおりすじ》を突当りに、真蒼《まっさお....
性急な思想」より 著者:石川啄木
かつ深い点に於て、何《いず》れの国にも優《まさ》っている国である。従って、もしも此処《ここ》に真に国家と個人との関係に就いて真面目《しんめんぼく》に疑惑を懐《い....
春昼」より 著者:泉鏡花
ら、つい其処だし、彼処の内の人だったら、ちょいと心づけて行こうと思ってさ。何ね、此処らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」 「はあ、青大将かね。」 ....
かんかん虫」より 著者:有島武郎
と竝んで、海に向って坐って居た。仲間と云おうか親分と云おうか、兎に角私が一週間前此処に来てからの知合いである。彼の名はヤコフ・イリイッチと云って、身体の出来が人....
七宝の柱」より 著者:泉鏡花
、荒れたこの広い境内は、宛然沼の乾いたのに似ていた。 別に門らしいものもない。此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾い....
海の使者」より 著者:泉鏡花
やがて、満々と水を湛える。 汐が入ると、さて、さすがに濡れずには越せないから、此処にも一つ、――以前の橋とは間十|間とは隔たらぬに、また橋を渡してある。これは....
」より 著者:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ
の匂いがする。 この別荘に来た人たちは皆好い人であった。その好い人が町を離れて此処で清い空気を吸って、緑色な草木を見て、平日よりも好い人になって居るのだ。初の....
銀座は昔からハイカラな所」より 著者:淡島寒月
と私の親戚に当る伊藤八兵衛という二人が始めたもので、雷門に千里軒というのがあって此処がいわば車庫で、雷門と芝口との間を往復していたのです。この車台は英国の物を輸....
我が宗教観」より 著者:淡島寒月
えば、「眼鏡は眼鏡、茶碗は茶碗」とこの一言で充分でしょう。以上が私の宗教観です。此処に一首あります。 我が心遊ぶはいづこカイラーサ 山また山の奥にありけ....
「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
の割引を施した後にも、何か著しい特色が残っているか? 彼の価値を問う為には、まず此処に心を留むべきである。 何か著しい特色? ――世間は必ずわたしと共に、幾多....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
にて決答を躊躇するときは軍艦より先ず高輪の薩州邸を砲撃し、更らに浜御殿を占領して此処より大城に向て砲火を開き、江戸市街を焼打にすべし云々とて、その戦略さえ公言し....
葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
。」 正面に、 葛飾郡永代築地 と鐫りつけ、おもてから背後へ草書をまわして、此処寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
たからといって、このアパートを出て行く気がしないのである。そればかりでなく、私は此処で協同組合の組合長をしている。協同組合で風呂、魚屋、八百屋を経営して居るから....